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megamouthの葬列

長い旅路の終わり

ソ連のテープレコーダー

文芸

Aさんは小さい頃、両親の仕事の都合でソ連時代のロシアの田舎に住んでいたことがある。

当時のロシアの片田舎には外国人学校もなく、Aさんは地元の公立小学校に通うことになった。

学校では日本人は相当珍しく、アジア系の人種が多いその地域でもAさんは目立った。
というより、言葉もほとんどわからないAさんに話かける者はなく、遠くからこちらがわからない言葉でからかわれるような具合だった。

「子供でもなんとなくわかるんですね、バカにされているのが。辛かったですよ」

打ち解けたきっかけは水泳教室だった。ソ連の公立小学校にはプールがない。
なにかの行事なのか、Aさんのクラスは街中にあるプールに出かけた。

皆が水に顔をつけるのも苦労している中、日本で水泳が得意だったAさんは、そのプールで一人だけ見事な泳ぎを見せた。

それ以来、周囲のAさんを見る目が変わった。片言ながら、Aさんはクラスのグループに誘われて、帰りの寄り道にも付き合えるようになった。

「それで、ある日、あの建物に連れて行かれたんです」

古い建物で、誰も住んでいないように見えた。謂れがあるのかもしれないが、言葉が通じないのでわからない。
友達は廃墟のような建物の中を慣れた様子でどんどん進んでいく。

最上階の部屋には鍵がかかっていなかった。すりガラスで仕切られた、元は豪勢だっただろう部屋に入ると、中は散乱としてた。
お菓子の袋や、煙草などが無造作に落ちていて、どうも地域の悪ガキのたまり場になっているようだった。
リーダー格の男がくつろげ、と手振りでしめしたので、皆がめいめい自由に部屋で過ごし始めた。

「そこにテープレコーダーがあったんです」

その巨大なテープレコーダーは日本では馴染みのないマルチトラックのレコーダーで、複数のトラックがあった。
簡単に言うと、巻き戻しをせずに複数の曲を同時に録音したり再生できるのだ。

それは部屋に最初から備え付けられていたような様子で立派なテーブルの中央に置いてあった。

Aさんはなんとなく、テープレコーダーのスイッチを探した。ボタンを押すと、ボスン…ボスン…と断続的な雑音が再生された。

リーダー格の子が「それは鳴らないんだよ」というような意味のことを言ったような気がした。

それでもかまわずAさんはスイッチを色々いじってみた。
違うトラックには西側のディスコ・ミュージックが入っていて、
スイッチを組み合わせると、なかなかおもしろい音楽のようなものが再生されるのだ。

その様子がおもしろかったのか、いつのまにか人が集まってきて、皆でスイッチやツマミを操作して音を鳴らした。
音質は悪かった。Aさんは日本のスピーカーを繋げばもっといい音で聞けそうだな、と思った。

ひとしきり遊ぶと、テープが終わったのかカチャリと音楽が止んだ。
一瞬で皆は興味を失ったようで、めいめい壁際に座ってとっておいたお菓子の包みを開けて食べだした。

「それでもなんだか、私はテープレコーダーが気になったんです」

Aさんは少しだけ巻き戻すと、最初に雑音が入っていたトラックを再生してみた。

間延びしたテープによってピッチの安定しない調子の外れた音で、古い曲のようなものが再生された。

部屋が異様な雰囲気になった。曲の中でピッチの狂った女性の声で何かが歌われていた。

「私にはわかった気がしたんです。歌詞が英語だったんですよ」

Yuri died.Alexey died....

誰かが死んだということを延々と歌っているように聞こえた。
不穏な空気をかんじとったのか、皆が黙った。

その時、部屋の入り口のほうを見たAさんは凍りついた。

髪の長い女が、磨りガラスに顔を押し付けて、背中を向けて座っている子を見下ろしているのだ。

Aさんは悲鳴をあげた。テープがガチャンと音をたてて止まった。

いつのまにか女の姿は消えてしまった。

「それからあの建物には誰もいかなくなりました。女の人の話はしなかったんですけどね」


しばらくして、Aさんは帰国した。
ロシア語は最後までほとんど書けないままだったので、当時の友人との連絡はない。

「だからなおさら気になるですよね。あの部屋にいた子たちがどうなったのか。私の名前は呼ばれなかったと思うんですけど」

呼ばれていたらどうなっていたのか。それも気になりますけど、とAさんはポツリと言った。

フーという猫

文芸

派遣会社に務める京子さんの話。

ドライブの帰り、どしゃぶりの雨となった。
路面の状態も悪く、横風も強いなか、京子さんの軽自動車は慎重に山道を下っていた。それでも車体がガタガタと揺れるほどだった。
対向車線から、京子さんとは反対に山道を登っていく車が見えた。相当なスピードが出ている。

「危ないなあ、と思いました」

その車は何かに追われるように猛スピードでカーブを曲がると、京子さんの車とすれ違った。
その瞬間、ピカっと車の中が光ったように見えた。

「雷かな、と思いました。でも光ったのは確かに車の中だったんです」

対向車をやりすごした京子さんはなんとか麓の平坦な道についた。

後部座席でガサガサと音がした。何かがバックミラーの端に写った。

京子さんは路肩に車を止めると、後部座席を確認した。暗い社内の中に、虎柄の子猫がチョコンと座っていた。

「びっくりしました。どこから入ったんだろう?って」

その猫は暴れるでもなく、静かに自分の体を舐めていた。外の雨はさらに激しくなっている。

結局どうすればいいかわからず、京子さんは猫を自宅のアパートに連れ帰ることにした。
そして猫をフーと名付けた「Who(誰?)」という意味だった。

フーは京子さんによく懐いた。猫を飼うのは始めてだったたので、京子さんは大変だったが、フーはトイレの場所も覚え、賃貸アパートの壁に爪を立てるわけでもなく、いたって普通の大人しい猫に育っていくようだった。

ある日曜日、アパートに来訪者があった。カメラ付きのインターフォンで見ると、帽子を目深に被った男が立っていた。

「何でしょうか?」
「猫を引き取りたい」

とその人物は言った。
その時はペット禁止のアパートで猫の存在がバレたのかと思って焦った。

「猫は飼ってないですけど?」
「いや、いるはずだ。隠すとあんたの為にもならない」

しばらくインターフォンごしに押し問答をしているうちに、男は帰った。

どうやらアパートの関係者ではなかったようで、その後管理人が来ることもなく、京子さんはほっとした。


またしばらくして、京子さんの職場に新しい同僚が来た。
親しみやすい年上の女性で、京子さんはすぐに仲良くなった。

「でも今考えると、私とだけ仲良くなろうとしていたように思えるんです」

その女性は京子のさんの家に行きたがった。押しに負けて一度、自宅でご飯を一緒に食べる約束をした。


部屋に来るなり、彼女はキョロキョロと何かを探した。フーがやってくると、ハッとしたような顔をした。

「これあなたの猫?」
「本当は飼っちゃダメなんだけどね」
「やめたほうがいい」

最初は賃貸の一人暮らしで猫を飼わないほうがいいという意味かと思った。

「この猫普通じゃない」

彼女は言った。京子さんはすこしムっとしたが、無視して夕食の準備を続けた。

夕食になり、世間話もそこそこに女性がまた猫の話題をした。

「私、こういう事に詳しいから、気を悪くしないで聞いて欲しいの」

「この猫は殺されかけた呪術者が身代わりに使ったものなの。だから置いておくと良くないことがあるわ」


京子さんは猫を引き取りに来た、不審な男を思い出した。しかしその事は黙っておいた。

「なんとなく言う気にならなかったんです。だって、猫のことを言う時の彼女もなんだか変な様子だったし」

彼女もまた、同じことを口にした。

「私が引き取ってもいいわよ」

京子さんは断った。もうフーに情が移っていて、手放すということを考えることもできなかった。

「…しょうがないわね」

意志が堅いことを知ると、彼女はそれ以上、猫のことは言わなくなった。
フーはニャーと鳴くと京子さんの足元にまとまわりついた。


それから少しして女性は無断で欠勤するようになって、契約解除になった。まるで、その事を言う為だけに京子さんに近づいたような気がした。



「それからフーはどうなったんですか?」

私は猫の現状を訪ねた。

「いたって普通ですよ。最近餌を食べすぎて太り気味なんですけど」

と京子さんは笑った。

「ホームページを作っています」

随想

20世紀末から00年代の前半の話をする。

かつてWebとは「ホームページ」のことだった。
Web屋とは「ホームページ」と、トップページのFlash、あとはそこに付随するちょっとしたお問い合わせフォームのCGIを設置するか、制作するのが仕事であると思われた時代があった。

このWebの黎明期、Web屋の大半が、「ホームページ」を作る仕事をしていた。

あの時代イカした「ホームページ」が無いことは、企業にとって恥ずかしいことだったらしい。
「ホームページ」のない会社や、社員にHomepageBuilderで作らせみてはみたものの、そのあまりの酷い出来に辟易した企業から、仕事は次々と舞い込んできた。

当時のWebデザインとtableレイアウト主体のHTMLコーディングの単価は当然今より高かったし、
(確か末期でもデザインは別で、コーディング単価として1ページ8,000円ぐらいは取れたし、大手は1ページ1万円以上はとっていたのではないか)
現在のLPのような数ページの内容を1ページに落とし込むような理不尽な仕事もなく、
モバイル対応とはレスポンシブにすることではなく、ガラケー用のページを新しく起こすことだった(ので、ここでもキャリア別(!)に1ページあたりのコーディング費用がとれた)

SEO対策とはYahoo!ディレクトリに登録することであり、小さなサングラスの"Cool"マークでも取れたなら、それは大成功といった具合だった。

今と比較すれば、Web屋にとっては牧歌的で、ビジネスがやりやすかった時代だと言えるかもしれない。


印象的な話がある。

大阪市の主催で、大阪のベンチャーWeb屋が自社の実績をアピールするイベントがあった。
私が潜り込んでいた零細Web屋も、何かの成り行きで登壇することになり、私は社長が慣れないプレゼンをするのを眺めるために観客席に座っていた。

プレゼンの内容は思いがけないものだった。
うちも含めて、ほとんどの会社が、制作実績である「ホームページ」の紹介もそこそこに、自社で計画しているサービスやパッケージの紹介をしたのである。

彼らのプレゼンに共通して言えることは「脱ホームページ」だった。下請けとしてホームページを作るのではなく、BtoCやBtoBとして、直接取り引きするために、自社の技術力を生かしたい。そういう話ばかりをしたわけだ。

発表が終わった後、大阪市の産業振興の担当者が手を上げた。

「下請けの何が嫌なのか?」

と彼は言った。製造業の中小企業はほとんど下請けである。安定して収益を挙げられる下請けを皆が口を揃えてやめたいと言う事を彼は心底不思議がっていた。

その質問に明確な答えを出すことは誰もできなかった。私も客席で、答えを考えてみたが、下請けが嫌なのは漠然としてわかるのだが、ビジネスの観点でそこまで否定する理由は確かに思いつかないのだった。


だが、今ならわかる。

ようするに我々は虚しかったのだと思う。

凝った「ホームページ」を作る意味などほとんどない。その時々のトレンドに合わせた見栄えが整っていれば十分なのだ。
たまに欲張りなクライアントから差別化を求められることがあったが、その時は、Flasher達にケレン味のあるトップページFlashや斬新なヘッダを作って貰えば充分なのだった。

ようするに我々は「名刺」に書かれたURLの先をデザインし、作っていただけなのにすぎない。
そこにかっこいいFlashがあろうがなかろうが、ネジ工場はネジ工場であるし、ホームページが綺麗だからまともで信頼できる会社というわけでもない。

我々の仕事は、ホームページを作った企業のビジネスに悲しいほど寄与していなかった。

だからといって、そのような会社に、Webの持つ真の可能性、効率化やビジネスの拡大をWebシステムによってもたらすようなことが、必要とされていないことにも薄々気づいてもいた。
彼らは変わらず営業車で走り回って仕事をとっていたし、注文や納品の処理はFAXやせいぜいExcelでやっているのだ。
Webによってそれがどのように変わるか、ということを我々は具体的に提示できなかったし、その度胸もなかった。


だから我々は自分でサービスを作ることにした。そうしてWebの可能性を示したかったのだ。
レンタル掲示板、アクセスカウンター、自己紹介サイト、レンタルフォーム、ブログサービス。雨後のタケノコのように乱立していた大小様々なサービスはこのような動機で作られたものも多かったように思う。

それらのサービスも今はほとんど残っていない。アクセスカウンターはGoogleAnalysticsになり、CMSやブログはWordpressになった。

昔の「ホームページ」を作る仕事もWixなどの「サービス」にとって代わり、
「ホームページ制作」の仕事は異様に長大なLPであるとか、キャンペーンサイトのような仕事だけが、単価を下げられて残されている。



確かに「脱ホームページ」を目指した我々は間違えてなかったようにも思う。ただ、漠然とした危機感だけでは、GoogleSNS、海外のOSSが作った流れに逆らうことはできなかったということだ。


今でも私は年配の人に自分の仕事を説明する時「ホームページ作る仕事」と答えることがある。そして大抵はそれで納得してもらえる。
得体の知れないWeb屋という存在に、この程度の市民権を与えた、ということが、あの時代が残したものの全て、と言えるのかもしれない。

ロング イナフ

プログラマのための練習曲

200X

真っ白な大地に長大な人の列がある。
皆、下を向き、前の人の動きに合わせて少しずつ進んでいる。永遠に落ちることのない日が無数の影を落としている。

巡礼者の列だ。

私は、そこから少し離れた場所で、煙草を燻らせている。
かつては私もあの列にいたのだけど、どういうわけか、こうして列から外れてしまったのだ。
列からはじき出されたようにも、自分で望んだ結果のようにも思う。


芦田に声をかけられて我にかえる。目の前にはテキストエディタが開いている。
「決済処理、確認してもらえませんか?」
芦田はおずおずと言った。年は自分と変わらないが、入社時期は私より少し後だ。
プログラムの力量は私のほうがあったので、自然と彼は私の部下のようなポジションになった。
芦田の心中はわからないが、忠実な部下であろうとしているようには見えた。

私は、「後で見ておくよ」と言った。
テスト用のクレジット番号を入力して、連結テストして、ログを確認して…
手順はすぐに思い浮かぶ。しかし、いつもなら滑らかにターミナルを叩く手が動かないのだ。

このまま放っておけばどうなるだろうか、という考えが浮かんだ。
仕様書は不完全だ。まだヒアリングしないといけない箇所もある。
しかし、自分にはこの案件、いや仕事についての興味がまるで持てなくなっているのだった。

ショッピングサイトの構築をするというこの仕事も、納期が間近に迫っている。
クライアントの担当はロジスティクス(流通)業者側の仕様書を丸投げする以上の能力はないようだった。
あとは、一般的な仕様で。いい感じで。
いつものことだ。

今までの私なら、それなりの情熱を持って案件を進め、担当者の尻を叩いて仕様を確定させて、この時期にはデバッグに入れる程度の進捗を維持している筈だった。
しかし、今回ばかりはどうにもならなかった。担当者の無関心と同様に、私もシステムに無関心だった。エンドユーザーの顔は浮かばなかった。
まるで昔書いた長大で退屈な小説を、もう一度うろ覚えで書かされているような思いがしていた。


皆が帰った後のオフィスで私は、ショッピングサイトのシステムを書いていた。
午前1時を過ぎている。責任感というよりは、習慣のように私はキーを押し続け、ブラウザをリロードし、外見を整えた。
納期は過ぎていて、サービスインが迫っている。昼に見た、担当者の顔は青ざめていた。
多分自分は、今まさに「信用」というものをぶち壊しているんだろう、と思った。
だが、何の恐怖感もなかった。自分で作ったものを壊すぐらい容易いことはないのだ。



巡礼者たちのイメージがまた浮かんだ。
巡礼者の列を外れて自分はここにいる筈だ。
なのに何故、皆自分の後ろに並んでいるのか。そして一向に私が前に進まないので、戸惑っているのだ。

何故なんだろう。むしろ何故私が彼らをどこかに案内しなければならないのだろう。
地平線の向こうから、兎が一匹やって来るのが見えた。それには影がなかった。

兎はいつの間にか私の前に来ていて、ひょこんと立ち上がるとしゃがれた声で言った。

「君は歌いすぎたんだよ。ここで終わりだ。」

そうはいかないさ。私は心の中で反論した。



夜が明けた。芦田が心配そうに声をかけた。
「出来ましたか?」
私はうつろな顔で彼の不安そうな顔を見ていた。しばらくして口が開いて
「まあ、これでいいんじゃないかな」
とだけ言った。思ったよりも昔の根拠のない自信に満ち溢れた言葉が出たように思った。
証拠に芦田の顔は少し安堵しているように見える。

「納品は現場でやりましょう」
芦田はFTPでソースを転送し始めた。

瞼が思い。髪はボサボサで潤いがなく、掻きむしると指に絡まった。
納品先のシステム会社で、エンドユーザーが椅子に座ってシステムを触っていた。
システムはあらゆるところでエラーを吐き出した。動作そのものが不吉な重さを伴っていて、ひどい出来だな、と私は何の感慨もなく思った。

振り返ったエンドユーザーが怒気を孕んだ声で言った。
「この時点で、これ、っていうのはいくらなんでもないんじゃない!?」
クライアントの担当者は平身低頭で、言い訳をした。そして、一通り口上を述べた後、恨みがましく私を見た。

その顔は兎になっている。

「だから言ったじゃないか。もう終わってるんだよ。君は」

しゃがれた声は頭の中で響いた。だからなんだというんだ。
列に並んだのは君たちの勝手だろう。月給20万程度の下請けに何を期待していたんだ。馬鹿げた話だ。まったくもって。

「こいつは反省すらしていないよ。死ぬことすらできないんだ」

兎が呆れて芦田に言った。芦田はそれに答えず、私を心配そうに見ている。

「すいません。急いでバグフィクスします」
私は無表情で答えた。

201X

「辞めようと思うんです」

居酒屋のビールのジョッキを前に、新卒の福本が言った。
隣には共通の上司がいて、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

「良かったら理由を聞かせてくれないか?」
「やりたい事ができたんです」

といって福本は口をつぐんだ。それが何かは教えてくれそうにない。
上司はビールを一息に飲み干すと、店員におかわりを頼んだ。

そして、まだ君は始まったばかりだ。来年は後輩もできるんだぞ、と言った。

私は、今まさに巡礼者の列から飛び出そうとする彼を無感動に見ていた。
何かそれに不都合があるだろうか、長大な回り道をする以上の意味が。

「まあ、しょうがないんじゃないの?」

私は特に考えるでもなく言った。結論が決っているなら議論するだけ無駄なことだ。
上司は私を睨んで、すぐに黙った。

「あとは、この会社からどれだけのものを持ち帰るかだよ」

善意の先輩の顔を作って私は言った。
口にしたビールは苦かった。やりたい事?そんなものがある筈がない。私がそうであったように。

「もうちょっと教えたいこともあったんだけど。あんまり教えてやれなくて悪かったね」

とだけ代わりに言った。

「いえ、○○さんには充分教えてもらえましたよ。○○さんがいなかったらもっと早く辞めていたかもしれません」

そりゃ悪かったな。と私は内心思ったが、どうでもいいことだった。

上司は彼を説得することを早々と諦めたようで、自分の昔の経験を話始めた。
転職のこと、社会のこと、いかに自分が努力したか、ということ。

残念ながら、それが彼に響いているようには見えなかった。
巡礼に並ぶ者に、そこから逃れようとする人間の気持ちはわからない。


彼らは地平線に向かって歩き続けるだけだ。
誰かついてこないか、注意深く後ろを振り向きながら。
行き先に何があるかはわからない。オアシスの一つはあるかもしれない。
ただ、期待はしないことだ。
何も期待はできない。

「長くいすぎたんだよ」

私は呟いた。唐突な発言に福本も上司も訝しげな表情をした。

「もう誰も自由じゃない」

二言目は言わなかった。巡礼者の列を外れても、また違う列に並ぶだけだ。よりアテのない列に。


遠くで影のない兎が飛び跳ねている。それは喜んでいるようにも、私達を哀れんでいるようにも見えた。

スタープログラマの幻影

随想

最近久々に「スタープログラマ」という言葉を聞いた。

そういえば、私の中にもかつてそういう存在がいたなあ、と思い出した。
あえて定義することもないが、スタープログラマとは、先進的なOSSプロダクツを実装し、ブログなどでプログラミングを堂々と論じ、できれば単著の一つも書いているような人たちといったところである。

話の都合上、具体的な名前を出すが、高林哲氏、higepon氏、新山祐介氏などが、私にとってのスタープログラマであったし、少し時代を戻すとεπιστημη氏であるとか、賛否両論だとは思うが、やねうらお氏などの名前が挙げられるかもしれない。

スタープログラマというのは、駆け出しのプログラマやプログラム学習者にとっての目標であり、先輩であり、嫉妬の対象でもある。

彼らの言葉は絶対で、疑う余地もないことであり、私はそのプログラミングに対する思想を無条件に受け入れたし、彼らが使っているエディタや、ツールを真似して使ってみたこともあった。
(それで思い出したのだが、私が呪われたようにEmacsに拘泥するのも彼らのうちの誰かの影響だったような気がする)

そしてなんとか彼らに追いつこうと、もがき、自分を取り巻く環境が彼らとあまりにも異なっていることに憤ったり、ついには自分自身の才が、彼らの足元にも及ばないことを悟って絶望したりする。


だが、今の私に、彼らのような存在はもういない。
今の世の中にスタープログラマがいないという意味ではない。単純に私がそういった存在に興味がなくなってしまったのだ。

おそらく今もどこかにiOSAndroidの神的な人がいたりするのかもしれないが、私は知らない。
「スタープログラマ」という言葉を聞いたのも、あるブログを書いているプログラマらしき人がフリーランスになったという記事を見たのがきっかけだったが、正直私は彼が何者であるか知らないのであった。

それは、私がプログラミングに興味をなくしてしまったということを意味するのかもしれない。
少なくとも誰かの思想を無条件に取り込むほどウブではなくなってしまったのは確かだ。


ふと気になって、私にとってのスタープログラマ達の現在を調べてみた。
高林哲氏、higepon氏は無事Googleに入社あそばされたようだし、やねうらお氏については、今の若い読者にとっては電王戦での活躍のほうが有名だろう。

そうした彼らの現状と、ポチポチとWordpressのテーマに手を入れて日銭を稼ぐ自分の境遇を比較すると、随分とまあ、ひどい有様だな、と思う反面、若き日にジリジリと身を焦がした、あの焦りを感じることも、もはやない。
大した言い訳も思いつかず、人生というものはそういうものだ、という感慨があるだけである。

今でもプログラミングの勉強はしている、最新技術のキャッチアップだってまだやっているのだ。

だが、それはスタープログラマを追うためではない。日銭を稼ぐためと、あとは単なる惰性である。

こうして走り続ける彼らを追う私の足取りは止まってしまった。

あの頃の自分を突き動かしていたであろう、醜い嫉妬の炎は年月と諦念の中に消えてしまったということだろう。

しかし、若き日の嫉妬で得たスピードは習慣となり、慣性となって、まだ自分をプログラマとしてこの世界に立たせている。

そして何よりあの頃より自分は自由になったという確信がある。
今の自分にとって、それは、かつてのスタープログラマ達からの充分な贈り物のように思う。


総論として、今の人に言っておきたいのは、若い時に嫉妬はしておくものだということだ。
私達の大部分が彼らに決して追いつけないとしても、ユニコーンの「デーゲーム」の歌詞にある「ジョー・ディマジオ*1のような若き日の幻影として心の中に残すことはできる。

スタープログラマ達から得られるものとして、それ以上のものはないように思うのだ。

*1:歌詞を引用するとJASRACが削除要請してくるらしいので、引用はしない

かくして私は通知を再開した。今月の懺悔

定点

さて、年度末ですね。読者の皆様方におきましては、さぞご多忙のことと存じます。
私は「なろう」小説を書いていました。

Books&Apps様に寄稿させていただきました

blog.tinect.jp

今月は一本だけですが、1月の勢いで寄稿させていただきました。

寄稿する内容は、できるだけ非プログラマ、というかマネジメント層に末端のPGの常識を知ってもらいたい、という意図で書いている(つもり)なんですが、なんだか形式が小慣れてきた感があります。
かといって、このフォーマットで書けることも、もう思いつかないなあ、というのもあって、また来月はどうなるかわかりません。良い意味でも悪い意味でも期待していただけますと幸いです。

なろう小説を書いてみて

Webディレクターだけど、異世界の開発会社に転生した -前編- - megamouthの葬列

Webディレクターだけど、異世界の開発会社に転生した -中編- - megamouthの葬列

Webディレクターだけど、異世界の開発会社に転生した -後編- - megamouthの葬列

結局3回にわたって、なろう小説を書いてしまったわけですが、驚くほど反響がない、というかPVがないです。

私からはPVとtwitterぐらいしか皆さまの反応というのは見えないので、求められているのかと言われれば、大多数には求められていない、という判断をせざるを得ないのですけど、なんかこのジャンルはロングテールな反応が多い気もするので、あまり気にしないことにします。

twitterでも書きましたが、あまりブログに書くような内容でもないように思うので、カクヨムかなんかに移行するかもしれません。(とはいえ、この記号で出来た物語を書くことに意味が見いだせればの話ですが)

ただ、「なろう小説」を書くことについては、一ついいことがあって、フットワークが軽くなるというか、虚構に対する肩の力が抜ける、という効果はあるようです。

IT小説の未来

そのへんが結実したのが

www.megamouth.info

でして、書いた時に「やったった」感があったのは今思うと、フィクションの構築が思いの外上手くいったということにあるようです。
証拠に、出来上がったものは、引っかかりもないし、カタルシスもない、ユーモアもない、とないないづくしで情緒だけは辛うじて残ったかな、という印象でした。
(読者の皆さまも正直なもので、こちらも驚くほどアレな反応でした)

実は直前にSIerについて書かれた小説ということで参考にしようと

リブート! (双葉文庫)

リブート! (双葉文庫)

を読ませて頂いたんですが、IT小説としては、このあたりが上手く書ける限界なのかなあと思いつつ、まだもう少し模索したい気持ちが強くなります。
IT小説というジャンルを探求したい方は一読をお勧めいたします。


なんか延々とPVがない愚痴を言ってしまった感がありますが、半年前と比べたら読者の数は200倍ぐらいになっているわけで、ブログ書きとして贅沢な事は言えないな、と自戒しております。

また来月は小説を少し書こうと思います(えー)
論評というか「むしゃくしゃしてやった」系のネタがね、あんまりないんだよね。まあそのへんは年度末ということで一つ。

それではこれからもよろしくお願いします。

追記

そういえば、独自ドメインにしたことを書き忘れてました。
ちょっとした気まぐれで、独自ドメインa8.netアフィリエイトに参加しました。上記の書籍のリンクもアフィです。
特に儲けようという気はなくて、Buzzった時にどれぐらい広告踏む人がいるのかな、というのが気になってて、その準備というぐらいの意味合いです。
ちなみにadsenseAmazonアソシエイトは今だに落ち続けています。草々

ディス オールド マン

プログラマのための練習曲

1

夜の街に降るはずだった雨は、この寒さで雪になってしまったようだった。
人材エージェント会社の営業を待っていた関口は、折りたたみ傘をさしていたが、風に巻き上げられた粉雪のいくつかは、彼の野暮ったいコートに吹き込んでしまう。
地下鉄の入り口から息せき切って営業の男がやってきた。時間ギリギリだ。

「急ぎましょう」
遅くなったのは自分のせいなのだが、彼は高そうな時計を一瞥すると早足に歩きだした。

「お電話でも言いましたが、どうも、難しいお客さんのようですから。関口さんも気をつけてください」
クライアントのオフィスに向かう道すがら、息を弾ませながら営業は言った。

どう気をつけろと言うんだ。関口は心の中で溜息をついた。
年度末の繁忙期に入ろうとしている中、大抵のエンジニアはすでに現場にアサインされていて、あぶれているのは自分のような40代以上のエンジニアなどの「訳あり」物件だけだ。

関口としては、今までの経歴を正直に話す以外にやりようがなかった。
汎用機を10年。業務アプリのVBVB.NETを8年、今回のサーバーサイドのJavaについては直近の2,3年ほどしか経験がない。

クライアントの会社に約束の時間ちょうどに着く。二人とも早足で歩いてきたので、コートを脱いだスーツの下はうっすら汗をかいているほどだった。

応接室に通される。営業は手慣れた様子で入り口に近い席に陣取ると、鞄からクリアフォルダに入った関口の職務経歴書を三部取り出して、一部をまだ来ていない顧客の席に滑り込ませる。

派遣であれ、請負であれ、現場に入れる人材を事前に面接することは本来法律で禁止されている。しかし、「面談」という形でこうしてクライアントの担当者が事前に経歴などをチェックするのは業界の「常識」であった。

5分ほど待たされて、応接室の扉が開いた。反射的に立ち上がった関口と営業が慇懃に頭を下げる。顔を上げると、襟付きのチェックシャツに暖かそうなセーターを羽織った男が立っていた。
太り気味で愛想はないが、どこかユーモラスな印象を与える外見で、関口は昔どこかでこんな顔を見たような気がした。

「PMの高山です」
と、その男はぶっきらぼうに言った。
高山は関口を一瞥することもなく、すぐに席につくと、クリアフォルダを手に取った。

「この度はお声がけいただき…」
営業が自分のペースを作ろうと、立ったまま挨拶をする。高山は職務経歴書から目を離さずに、手をこちらに向けた。「座って良い」ということらしい。
年は20代後半ほどだろうか。エンジニアとしては脂が乗り始めた頃だ。仕草に自信が満ち溢れていて、それがいちいち傲慢な印象を相手に与えてしまっているのだが、彼自身はそれに気づいていないようだ。まあ自分には関係のないことだ、と関口は思った。

「で、結局サーバーサイドのJavaの経験はこれだけですか?」
と、高山は顔を上げた。

「そうですね」
営業が少し困ったような笑顔をこしらえて言う。

「当然JUnitの経験はあるんですよね?」
問われた営業が、困り顔のまま関口のほうを向く、用語の意味がわからないのだ。
関口はようやく口を開くことができた。
「前の現場では一部で使っていましたね」

「ふーん。でも2年ほどなんですね。今回フロントエンドもあるんですが、JSやCSSの経験は?」
jQueryなら少し実装する機会がありました」
実際には、ほとんど他の若手のプログラマがやっていたのだが、彼が突然現場に来なくなってしまったので、見よう見まねで書いたことがあるだけだった。

「幸いこのプロジェクトも今だにjQueryなんですよ。全体的にレベルが低くて」
高山は笑うでもなく、試すような目で関口を見た。何が「今だに」なのか、どうレベルが低いのか関口にはわからなかったが、曖昧に笑っておく。

「もっと経験のある人はいないんでしょうね?」
反応が気に食わなかったのか、高山が営業に向かって言った。
「ええ、繁忙期ですので、これ以上の人材となると…かなり難しくなります」
困った顔で答える。

「まあPHPしか書いたことのない人を連れてこられても困りますしね」
冗談のつもりなのだろうか、軽い感じで高山は言った。誰も笑わなかった。しばらく沈黙が続いた。

「…いいですよ。とにかく人が足りないので。」
「そうですか!ありがとうございます」
大げさに営業が頭を下げる。
話は決まったようだ。こうなると後は、営業と高山の条件交渉だ。
関口は適当に礼を言うと、先に応接室を出た。

廊下にあるパテーションの向こうは開発現場だ。時計を見ると8時に近いが、それほど静かという感じもしなかった。まだ誰も帰っていないのかもしれない。

関口は営業との合流場所である近くの喫茶店に向かうべく、エレベーターに乗り込んだ。

2

最初の出社日、スーツでやってきた関口だが、現場では皆私服であった。
高山がやってきて、面倒そうに席に案内する。

「アカウントやメールの設定はそこの紙に書いてあります。開発環境はeclipseがインストール済みです。えっとInteliJとかじゃなくて良いですよね?」
「はい。大丈夫です」
実際はeclipse以外は触ったことがない。関口は鞄を置いて、19インチのディスプレイがつながったPCの電源を入れる。高山はそれを見届けると足早に自分のデスクに帰っていった。

起動を待っている間、周りを見回してみる。20代から40代まで幅広い年齢層のスタッフが無表情で画面に向かっていた。彼らの間に会話はなく、遠くで社員同士が雑談している声が聞こえるぐらいだ。

どうも自分の席のまわりも派遣や、請負の類なのだろう。現場にもよるが、彼らはたとえ同じ会社に所属していても業務時間中に仕事と関係のない会話をすることはあまりなかった。

PCにログインし、メールの設定をしていると、突然、隣に座っていた20代ほどの男が椅子をくるりとこちらに向けて頭を下げた。
「あの…よろしくお願いします。真田です。」
「関口です。社員の方ですか?」
念のため聞いておく。
「いえ、僕も派遣です。関口さんにプロジェクトを説明することになっているので、少しいいですか?」

真田はそれから、覚束ない操作で、時々確認しながら関口のPCのeclipseを操作して、プロジェクトのレポジトリをチェックアウトしてソースコードを展開した。
真田によると、開発は難航しているらしい。

「後でミーティングがありますから、具体的な作業はそこで」
「仕様書はないんですか?」
関口は言った。

最初の仕様書は共有サーバーにあります。ただ、Wikiがあって、最新の仕様はそこに書かれています」
真田はブラウザを操作して、プロジェクト管理に使っている社内のredmineサイトを開いた。
プロジェクトのWikiに高山が書いたらしい仕様のメモ書きやクラス図があり、他には、使用フレームワークやライブラリ、コーディング規約などが書いてあった。
まずはこれを読むことから始めないといけないようだ、と関口はサイトをブックマークした。

関口がeclipseの設定や、Wikiを読み込んでいると、まわりの人間がめいめい立ち上がり始めた。
「11時です。定例会議になります。」
キャンパスノートを手にした真田が小声で囁いた。

3

「このテストケースでカバレッジ100%いってるんですよね?」

高山は苛立ちを隠さない口調でその40代のプログラマーを詰問していた。

「まだ、100%ではないです…」
「っていうかさ、このテストケース、何を見て書いたの?仕様見たら、こんなテスト書かないよね普通」
「仕様に従ってるつもりです」
「じゃあさ、null渡したらどうなんの?今やってみる?」

高山はノートパソコンを操作して、テストケースを追加した。その様子は会議室の大きなTVにミラー表示されている。
テストはあっさりと例外を吐いて止まった。

「ね?仕様見てたらこういうテストが必要だってわからない?」
「すいません」

見るにたえない光景だった。自分とそう年の変わらないプログラマが、一回り年下の高山に罵倒されている。それも皆の前で。
関口は、まだソースコードも仕様もそれほど把握していないので、高山の糾弾が正当なものかは判断できなかった。
しかし、どれほどひどいコードを書こうとも、このような公開処刑めいた仕打ちを受けるほどのこととは思えなかった。

「何回目だと思ってんの?いい加減覚えてくださいよ!」
最後に高山が吐き捨てるように言った。
他のスタッフは、下を向いて何も言わない。糾弾されたプログラマも含めて彼らには一切表情というものがなかった。ただひたすら、嵐が過ぎ去るのを待っている。

「それで、関口さん。あなたの作業ですけど」
関口は、自分が呼ばれていることにしばらく気がつかなかった。
「会議の直前にredmineチケットにいれておきました。実装期間はひとまず、3日にしといたけど、ご覧の通りスケジュールが遅れ気味で、もうちょっと早く仕上げてくれると助かります」
「今日から開始ですか?」
「当たり前じゃないすか」
まだ、仕様もwikiも読んでいないのに、実装するのか。関口は戸惑った。
「それから、単体テストでのコードカバレッジも報告してくださいね。何故か100%じゃないのに完了ステータスにする人がいて困ってるんで」

4

会議が終わった。スタッフが無言で席に戻る。
redmineを確認すると自分の担当として3つほどのモジュールの実装が書いてあった。
今日一日で仕様を把握して、単体テストを書くのに1日かかるかどうか、実装の時間は1日少しというところか。
最初の作業としてはハードにも程がある設定だと思った。

「関口さん飯行きませんか?」
頭を抱えていると、真田に声をかけられた。後ろで派遣のスタッフたちが立ち上がって、伸びをしている。
会議での険悪な雰囲気は露ほどもなかった。どうやら皆、慣れているらしい。

「みんなで行くのかい?」
「ええ。もし苦手だったらいいですけど」
「いや、行くよ」

昼食は近くのショッピングモールのフードコートだった。カウンター席にプログラマ達がざっと横並びに座る。

「びっくりしたでしょ?会議」
30代の話した事のないプログラマが関口に声をかける。彼は弁当を持参してきている。
「ええ。厳しい人みたいですね」
「厳しいんじゃなくて、細かいんですよ」
「あれだけ言うんなら、自分で書けよって言いたくなるよな」
と違うプログラマが言った。

「ああいうのってどこで覚えるのかね?テストファーストとか、カバレッジがどうとかさ」
「ネットだろ」
「今の子はそうだねえ」
と糾弾されていた40代のプログラマがうどんをすすりながら言った。高山の罵倒が堪えた様子はないので、関口は内心安堵した。

「僕らの頃はさ、ほら、NECメインフレームだから。みんな先輩から教わったもんだけどね」
静かに40代は言った。

「まあどちらにせよ、俺らの契約更新はないだろうから気楽なもんだよ」
「どんどん切ってるからさ、うちの営業が出せるのはもう俺で最後だってさ。そのうち誰もいなくなるんじゃないの?」
「切っても、この時期じゃ、ロクなの残ってないだろ、もう」
と言ってから、今日現場に送り込まれた関口を見て、しまったという顔をした。苦笑するしかなかった。

「関口さんもメインフレーム触ってたんですか?」
真田がとりつくろうように関口に言った。
「そうだね。うちは富士通系だったけど…」
と口に出した途端、高山の顔が頭に浮かんだ。

そうか、思い出した。高山の顔は「坊や」に似ているんだ。

関口はかつて汎用機(メインフレーム)のプログラムをしていた頃のある新人を思い出していた。

5

就職氷河期に一人だけの新人が現場に入ってきた。愛嬌のある性格とぽっちゃりした外見で、大卒だが、まだ10代のようにも見えた。
関口や中堅のプログラマたちは彼を「坊や」と呼んだ。

「坊や」の仕事はテストだった。プログラミングも汎用機のこともわからない新人にさせる仕事はそれしかなかったのだ。

「坊や」はそれでも、テスト仕様書の手順通りに端末を操作して、実直にそのおもしろくもない業務をこなしていた。
彼には生来の明るさと好奇心があった。関口もメインフレームの説明書を彼の為に借りてきて、暇を見ては勉強につきあった。

「坊や」の飲み込みは早かった。半年もすると、テスト仕様書の作成もできるようになっていた。
このままいけば、2年後ぐらいには立派なプログラマになれるだろう。と関口は思ったし、皆からも期待されていた。

そんな時だ。エンドユーザーである銀行が統合することになった。
二つの異なるメインフレームを結ぶリンカーシステムの制作、3年後のシステム統合に向けての作業、無数の仕事が舞い込んできた。

ほぼ毎日終電近くまで残業した。残業代とボーナスで懐は潤ったが、心の余裕はなくなっていった。

割りを食ったのが「坊や」だった。皆がシステム統合に向けて奔走する中、彼もまた、テスト作業という形で奮闘していたが、もはや彼の勉強の面倒を見るものは誰もいなくなってしまった。

1年後、テスト作業を延々と繰り返していた「坊や」は無断欠勤を繰り返すようになった。関口は心配したが、目の前の仕事を片付けるのに精一杯だった。

ある深夜、関口の携帯に電話がかかってきた。「坊や」からだった。

「関口さん。すいません」
「大丈夫か?みんな心配してるぞ」
「僕、この仕事に向いてないみたいです」
電話の先の声はすっかり自信を失い、疲れ果てた人間のそれだった。

「そんなことはないだろう。飲み込み早いぞお前は」
「でももう駄目みたいです」
関口は何も返せなかった。思い出す度に腹立たしいが、その時、関口の頭にあったのは翌日こなさなければならないタスクのことだった。

「…ありがとうございました」
しばらくの沈黙の後、そう言い残して電話は切れた。

そして、それが関口と「坊や」の最後の会話だった。

6

この凄惨な現場にも少しは慣れてきた。
少なくとも、Wikiに書いてある仕様を書かれたままテストケースに落とし込み、コードカバレッジを100%にするという品質基準を満たせば、高山は納得してくれる、という風にコツがつかめてきた。

前にいた40代のプログラマは契約が終了したか、打ち切られたのか、いつの間にかいなくなってしまった。

高山は毎日のように派遣会社と「面談」している。だが、空いた席が埋まることはないようだった。

そのうち、結合テストがはじまった。高山は単体テストを徹底的にやっていたので自信満々のようだったが、実際に画面が出来てみると、様々なバグが発生した。

関口に言わせれば、それはそもそもの仕様の不備だったり、記述の矛盾があったりせいだと思うのだが、それでも高山は単体テストを書いた人間が悪いと信じて疑わないようだった。


ある日、関口にも矛先が巡ってきた。

「最終的に結合するのわかってたら、こんな設計になる筈ないじゃないですか?関口さん」

高山は連日の残業で血走り、焦燥感を漂わせるようになっていた。スケジュール遅延について、上から詰められているという噂も聞いていた。

この単体テストOKを出したのはあなたでしょう、と関口は言いそうになったが

「そうですね。すいません」

とだけ答えた。表情を浮かべないことには慣れている。

「結局、俺が書けばとっくに終わってたんじゃないすかね?これ?」

2ヶ月前に比べると、まばらになった会議室で、高山は誰に言うでもなく言った。

7

関口の契約が終了した。延長はされなかった。
プロジェクトの先は気になるが、おそらく大幅な遅延で完了するだろう。その時のPMが高山である保証はないが。

最後の出社を終えた後、関口は肩の荷がおりた心地で、夕食に牛丼チェーン店に入った。
そして開放感も手伝って、ビールを頼んだ。

牛丼をアテにビールを飲む。「自分でコードを書けば良かった」という高山の最後の言葉を思い出した。

PMの仕事はもちろんコードを書くことではない。しかし自分が書くように書かせることでもない。

そう、誰かが彼に教えることはなかったのだろうか?
関口は思った。おそらく誰も教えなかったのだろう。「坊や」のように誰も彼に教えなかったのだ。

そう考えると、高山も孤独で、哀れな存在のように思えた。

だが、自分には関係のないことだ。
「坊や」を見捨てたあの時から、自分は誰も救うことができない人間なのだ、と関口は考えていた。

ビールのジョッキが空になっていた。もう一杯、と思ったがやめた。

勘定をすませ、店を出る。

「ありがとうございました!」

ふと、その声に聞き覚えのある響きを感じて振り返ってしまう。

しかしそこには、見ず知らずの店員が立っているだけなのだった。