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megamouthの葬列

長い旅路の終わり

プログラマが「出来ません」と言う日

むしゃくしゃしてやった

長い間、フリーランスなどという「便利屋」をこなしていると、馴染みの顧客から、トラブったプロジェクトに急遽参画してほしいという、ヘルプ案件が入ってきたりする。
嫌かと言われるとそうでもなく、むしろ、恩を着せて(足元を見るとも言う)高単価を取るチャンスだし、案件が燃え上がっているのは他人のせいであり、途中から入る私は気楽なものなので、積極的に首をつっこむことにしている。

こう言うと颯爽と現れるスーパーマンのようでかっこいいのだが、そこはクソ雑魚フリーランスの私。トラブルの内容というのは、「安いWordpress業者に頼んだ案件で、途中で、(カスタマイズ要件)がやっぱり出来ないと言われた」とか「アプリが毎回メモリリークで5分で落ちるのだが、全く治る気配がない」とかそういう情けない話ばかりである。

共通して言えるのは、炎上させた業者が「(問題を解決することが)出来ません」とはっきり言ってしまっていることである。

私などはプライドだけは一人前なので、自分の技量が足りないという理由で「出来ません」と言ったことはほとんどない。
もちろん、「Webアプリからデスクトップにある任意のExcelファイルを開いてください」とか、それはどういうセキュリティホールを突けば出来るんだ、的な根本的、常識的に無理なリクエストには「最近は起きながら寝言が言えるんだな(Webの仕様上出来ません)」ぐらいの返しはする。

だが、「Wordpressの○○というプラグインが対応していないので出来ません」とか、そういう類の「出来ません」は、要するに、自分がWPプラグインの内部動作やフックAPIを理解していないことを自白しているのに等しいわけで、「(工数上)出来ません」なのは理解できるものの、そうでない場合(そうでないから私のような高利悪徳エンジニアに依頼が来るわけであるから)
よくもまあ、「出来ません」なんてことを気楽に言うものだ。と毎回思ってしまう。

彼らの事情に首を突っ込んだことはないので、どういう「出来ません」なのかは本当のところわからない。
だが、プログラマにとって「出来ません」という事がいかに屈辱的なことであるか、と私が考えているのはご理解いただけたかと思う。


そんな私だが、最近、彼らの気持ちが少しわかるような出来事があった。
その仕事は、ES6をbabelでトランスパイルできるようにgulpタスクを追加して欲しいという内容だったのだが、ES6のある構文をサポートする為のgulpタスクがさっぱりわからないのである。

私は、出来るだけ公式のリファレンス以外をググるという行為を戒めてるのだが、今回ばかりはどうにもならないので、ググッてみた。
そうすると、有りがちな問題だったのか、すぐにコピペできそうな文例が沢山でてきた。
だが、それらは意味不明のモジュールを挟んだ、これは結局何をやってるんだ、という内容だったり、もはやgulpで書くタスクじゃないだろこれ、という内容だったりしたので、私は書かれた内容に全く納得がいかなかった。
しかし、最適な答えを探している時間がなかったので、私は仕方なく、良さそうなコピペを使って、なんとか要求される仕様通りに動くようにしてファイルを返した。

一応はちゃんと動いたようで、その場はなんとかなったのだが、自分でもよくわからない物を納品してしまったので、非常に収まりが悪い。

私は仕事が終わった後も、自分が何を書いたのか、ということを調べ続けて、ようやく自分がコピペした内容がどういうものかを理解できた。
(結論から言うと、それはgulpのアーキテクチャがそのエコシステムの中ですでに破綻しているという印象を受けざるを得ないものだったわけだが、それはさておき)
肝心なことは、もし私が仕事に追われ、調べる時間をとれず、そのファイルが何らかのトラブルを起こしてしまったら、私は「出来ません」と答えるしかなかっただろう、ということだ。

そもそも私はgulpが嫌いだし(思想自体は理解できるのだが、現在の定番的なgulpタスクはその思想を理解して作られているとは思えない)、こんな腐った物のためにgulp本体やプラグインのソースを読むなんてことは真っ平ごめんである。

「自分が何をしているかを理解しているのが良いプログラマだ」というのはこの世界でよく知られた格言であるが、逆に言えば、大半のプログラマは自分が何をしているか理解していないとも言える。

理解していないまま、または理解する事ができないまま、書いたプログラムを放置すれば、未知の問題が起きた時にどうすることもできない。
これを「恐怖」や「屈辱」であると考えることができないのであれば、おそらくその時プログラマは涼しい顔をして「出来ません」と言うことができるだろう。

私もgulpという素晴らしいソフトウェアを通じて、「こんなもの理解できなくて当たり前じゃ」と言う気分になったので、
Wordpressプラグインが対応してないので、その仕様が出来ません、と答えたプログラマも「WPなんて腐ったものを理解するなんてごめんだ」ということだったかもしれないし、メモリリークも「なんで低レベルAPI触ったとたんにメモリ管理できなくなる欠陥言語を触らないといけないんだ」ということだったのかもしれない、と、想像力を働かすことができた。


それでも、私は「出来ません」と答えることは屈辱的であると思う。

それはプログラマにとっての飯の種であり、存在意義であり、聖杯でもあるところのプログラムを汚す行為に他ならないからだ。

しかし、案件の内容やその人の待遇によっては、その敬意を失ってしまうのも無理はないのかもしれない。

私にもいつか、この不遇の時を経て、いつかニヤニヤと「出来ません」と答える日が来るだろう。

それでもプログラマを続ける意義があるのかどうかは、その時に考えようと思う。

ソ連のテープレコーダー

文芸

Aさんは小さい頃、両親の仕事の都合でソ連時代のロシアの田舎に住んでいたことがある。

当時のロシアの片田舎には外国人学校もなく、Aさんは地元の公立小学校に通うことになった。

学校では日本人は相当珍しく、アジア系の人種が多いその地域でもAさんは目立った。
というより、言葉もほとんどわからないAさんに話かける者はなく、遠くからこちらがわからない言葉でからかわれるような具合だった。

「子供でもなんとなくわかるんですね、バカにされているのが。辛かったですよ」

打ち解けたきっかけは水泳教室だった。ソ連の公立小学校にはプールがない。
なにかの行事なのか、Aさんのクラスは街中にあるプールに出かけた。

皆が水に顔をつけるのも苦労している中、日本で水泳が得意だったAさんは、そのプールで一人だけ見事な泳ぎを見せた。

それ以来、周囲のAさんを見る目が変わった。片言ながら、Aさんはクラスのグループに誘われて、帰りの寄り道にも付き合えるようになった。

「それで、ある日、あの建物に連れて行かれたんです」

古い建物で、誰も住んでいないように見えた。謂れがあるのかもしれないが、言葉が通じないのでわからない。
友達は廃墟のような建物の中を慣れた様子でどんどん進んでいく。

最上階の部屋には鍵がかかっていなかった。すりガラスで仕切られた、元は豪勢だっただろう部屋に入ると、中は散乱としてた。
お菓子の袋や、煙草などが無造作に落ちていて、どうも地域の悪ガキのたまり場になっているようだった。
リーダー格の男がくつろげ、と手振りでしめしたので、皆がめいめい自由に部屋で過ごし始めた。

「そこにテープレコーダーがあったんです」

その巨大なテープレコーダーは日本では馴染みのないマルチトラックのレコーダーで、複数のトラックがあった。
簡単に言うと、巻き戻しをせずに複数の曲を同時に録音したり再生できるのだ。

それは部屋に最初から備え付けられていたような様子で立派なテーブルの中央に置いてあった。

Aさんはなんとなく、テープレコーダーのスイッチを探した。ボタンを押すと、ボスン…ボスン…と断続的な雑音が再生された。

リーダー格の子が「それは鳴らないんだよ」というような意味のことを言ったような気がした。

それでもかまわずAさんはスイッチを色々いじってみた。
違うトラックには西側のディスコ・ミュージックが入っていて、
スイッチを組み合わせると、なかなかおもしろい音楽のようなものが再生されるのだ。

その様子がおもしろかったのか、いつのまにか人が集まってきて、皆でスイッチやツマミを操作して音を鳴らした。
音質は悪かった。Aさんは日本のスピーカーを繋げばもっといい音で聞けそうだな、と思った。

ひとしきり遊ぶと、テープが終わったのかカチャリと音楽が止んだ。
一瞬で皆は興味を失ったようで、めいめい壁際に座ってとっておいたお菓子の包みを開けて食べだした。

「それでもなんだか、私はテープレコーダーが気になったんです」

Aさんは少しだけ巻き戻すと、最初に雑音が入っていたトラックを再生してみた。

間延びしたテープによってピッチの安定しない調子の外れた音で、古い曲のようなものが再生された。

部屋が異様な雰囲気になった。曲の中でピッチの狂った女性の声で何かが歌われていた。

「私にはわかった気がしたんです。歌詞が英語だったんですよ」

Yuri died.Alexey died....

誰かが死んだということを延々と歌っているように聞こえた。
不穏な空気をかんじとったのか、皆が黙った。

その時、部屋の入り口のほうを見たAさんは凍りついた。

髪の長い女が、磨りガラスに顔を押し付けて、背中を向けて座っている子を見下ろしているのだ。

Aさんは悲鳴をあげた。テープがガチャンと音をたてて止まった。

いつのまにか女の姿は消えてしまった。

「それからあの建物には誰もいかなくなりました。女の人の話はしなかったんですけどね」


しばらくして、Aさんは帰国した。
ロシア語は最後までほとんど書けないままだったので、当時の友人との連絡はない。

「だからなおさら気になるですよね。あの部屋にいた子たちがどうなったのか。私の名前は呼ばれなかったと思うんですけど」

呼ばれていたらどうなっていたのか。それも気になりますけど、とAさんはポツリと言った。

フーという猫

文芸

派遣会社に務める京子さんの話。

ドライブの帰り、どしゃぶりの雨となった。
路面の状態も悪く、横風も強いなか、京子さんの軽自動車は慎重に山道を下っていた。それでも車体がガタガタと揺れるほどだった。
対向車線から、京子さんとは反対に山道を登っていく車が見えた。相当なスピードが出ている。

「危ないなあ、と思いました」

その車は何かに追われるように猛スピードでカーブを曲がると、京子さんの車とすれ違った。
その瞬間、ピカっと車の中が光ったように見えた。

「雷かな、と思いました。でも光ったのは確かに車の中だったんです」

対向車をやりすごした京子さんはなんとか麓の平坦な道についた。

後部座席でガサガサと音がした。何かがバックミラーの端に写った。

京子さんは路肩に車を止めると、後部座席を確認した。暗い社内の中に、虎柄の子猫がチョコンと座っていた。

「びっくりしました。どこから入ったんだろう?って」

その猫は暴れるでもなく、静かに自分の体を舐めていた。外の雨はさらに激しくなっている。

結局どうすればいいかわからず、京子さんは猫を自宅のアパートに連れ帰ることにした。
そして猫をフーと名付けた「Who(誰?)」という意味だった。

フーは京子さんによく懐いた。猫を飼うのは始めてだったたので、京子さんは大変だったが、フーはトイレの場所も覚え、賃貸アパートの壁に爪を立てるわけでもなく、いたって普通の大人しい猫に育っていくようだった。

ある日曜日、アパートに来訪者があった。カメラ付きのインターフォンで見ると、帽子を目深に被った男が立っていた。

「何でしょうか?」
「猫を引き取りたい」

とその人物は言った。
その時はペット禁止のアパートで猫の存在がバレたのかと思って焦った。

「猫は飼ってないですけど?」
「いや、いるはずだ。隠すとあんたの為にもならない」

しばらくインターフォンごしに押し問答をしているうちに、男は帰った。

どうやらアパートの関係者ではなかったようで、その後管理人が来ることもなく、京子さんはほっとした。


またしばらくして、京子さんの職場に新しい同僚が来た。
親しみやすい年上の女性で、京子さんはすぐに仲良くなった。

「でも今考えると、私とだけ仲良くなろうとしていたように思えるんです」

その女性は京子のさんの家に行きたがった。押しに負けて一度、自宅でご飯を一緒に食べる約束をした。


部屋に来るなり、彼女はキョロキョロと何かを探した。フーがやってくると、ハッとしたような顔をした。

「これあなたの猫?」
「本当は飼っちゃダメなんだけどね」
「やめたほうがいい」

最初は賃貸の一人暮らしで猫を飼わないほうがいいという意味かと思った。

「この猫普通じゃない」

彼女は言った。京子さんはすこしムっとしたが、無視して夕食の準備を続けた。

夕食になり、世間話もそこそこに女性がまた猫の話題をした。

「私、こういう事に詳しいから、気を悪くしないで聞いて欲しいの」

「この猫は殺されかけた呪術者が身代わりに使ったものなの。だから置いておくと良くないことがあるわ」


京子さんは猫を引き取りに来た、不審な男を思い出した。しかしその事は黙っておいた。

「なんとなく言う気にならなかったんです。だって、猫のことを言う時の彼女もなんだか変な様子だったし」

彼女もまた、同じことを口にした。

「私が引き取ってもいいわよ」

京子さんは断った。もうフーに情が移っていて、手放すということを考えることもできなかった。

「…しょうがないわね」

意志が堅いことを知ると、彼女はそれ以上、猫のことは言わなくなった。
フーはニャーと鳴くと京子さんの足元にまとまわりついた。


それから少しして女性は無断で欠勤するようになって、契約解除になった。まるで、その事を言う為だけに京子さんに近づいたような気がした。



「それからフーはどうなったんですか?」

私は猫の現状を訪ねた。

「いたって普通ですよ。最近餌を食べすぎて太り気味なんですけど」

と京子さんは笑った。

「ホームページを作っています」

随想

20世紀末から00年代の前半の話をする。

かつてWebとは「ホームページ」のことだった。
Web屋とは「ホームページ」と、トップページのFlash、あとはそこに付随するちょっとしたお問い合わせフォームのCGIを設置するか、制作するのが仕事であると思われた時代があった。

このWebの黎明期、Web屋の大半が、「ホームページ」を作る仕事をしていた。

あの時代イカした「ホームページ」が無いことは、企業にとって恥ずかしいことだったらしい。
「ホームページ」のない会社や、社員にHomepageBuilderで作らせみてはみたものの、そのあまりの酷い出来に辟易した企業から、仕事は次々と舞い込んできた。

当時のWebデザインとtableレイアウト主体のHTMLコーディングの単価は当然今より高かったし、
(確か末期でもデザインは別で、コーディング単価として1ページ8,000円ぐらいは取れたし、大手は1ページ1万円以上はとっていたのではないか)
現在のLPのような数ページの内容を1ページに落とし込むような理不尽な仕事もなく、
モバイル対応とはレスポンシブにすることではなく、ガラケー用のページを新しく起こすことだった(ので、ここでもキャリア別(!)に1ページあたりのコーディング費用がとれた)

SEO対策とはYahoo!ディレクトリに登録することであり、小さなサングラスの"Cool"マークでも取れたなら、それは大成功といった具合だった。

今と比較すれば、Web屋にとっては牧歌的で、ビジネスがやりやすかった時代だと言えるかもしれない。


印象的な話がある。

大阪市の主催で、大阪のベンチャーWeb屋が自社の実績をアピールするイベントがあった。
私が潜り込んでいた零細Web屋も、何かの成り行きで登壇することになり、私は社長が慣れないプレゼンをするのを眺めるために観客席に座っていた。

プレゼンの内容は思いがけないものだった。
うちも含めて、ほとんどの会社が、制作実績である「ホームページ」の紹介もそこそこに、自社で計画しているサービスやパッケージの紹介をしたのである。

彼らのプレゼンに共通して言えることは「脱ホームページ」だった。下請けとしてホームページを作るのではなく、BtoCやBtoBとして、直接取り引きするために、自社の技術力を生かしたい。そういう話ばかりをしたわけだ。

発表が終わった後、大阪市の産業振興の担当者が手を上げた。

「下請けの何が嫌なのか?」

と彼は言った。製造業の中小企業はほとんど下請けである。安定して収益を挙げられる下請けを皆が口を揃えてやめたいと言う事を彼は心底不思議がっていた。

その質問に明確な答えを出すことは誰もできなかった。私も客席で、答えを考えてみたが、下請けが嫌なのは漠然としてわかるのだが、ビジネスの観点でそこまで否定する理由は確かに思いつかないのだった。


だが、今ならわかる。

ようするに我々は虚しかったのだと思う。

凝った「ホームページ」を作る意味などほとんどない。その時々のトレンドに合わせた見栄えが整っていれば十分なのだ。
たまに欲張りなクライアントから差別化を求められることがあったが、その時は、Flasher達にケレン味のあるトップページFlashや斬新なヘッダを作って貰えば充分なのだった。

ようするに我々は「名刺」に書かれたURLの先をデザインし、作っていただけなのにすぎない。
そこにかっこいいFlashがあろうがなかろうが、ネジ工場はネジ工場であるし、ホームページが綺麗だからまともで信頼できる会社というわけでもない。

我々の仕事は、ホームページを作った企業のビジネスに悲しいほど寄与していなかった。

だからといって、そのような会社に、Webの持つ真の可能性、効率化やビジネスの拡大をWebシステムによってもたらすようなことが、必要とされていないことにも薄々気づいてもいた。
彼らは変わらず営業車で走り回って仕事をとっていたし、注文や納品の処理はFAXやせいぜいExcelでやっているのだ。
Webによってそれがどのように変わるか、ということを我々は具体的に提示できなかったし、その度胸もなかった。


だから我々は自分でサービスを作ることにした。そうしてWebの可能性を示したかったのだ。
レンタル掲示板、アクセスカウンター、自己紹介サイト、レンタルフォーム、ブログサービス。雨後のタケノコのように乱立していた大小様々なサービスはこのような動機で作られたものも多かったように思う。

それらのサービスも今はほとんど残っていない。アクセスカウンターはGoogleAnalysticsになり、CMSやブログはWordpressになった。

昔の「ホームページ」を作る仕事もWixなどの「サービス」にとって代わり、
「ホームページ制作」の仕事は異様に長大なLPであるとか、キャンペーンサイトのような仕事だけが、単価を下げられて残されている。



確かに「脱ホームページ」を目指した我々は間違えてなかったようにも思う。ただ、漠然とした危機感だけでは、GoogleSNS、海外のOSSが作った流れに逆らうことはできなかったということだ。


今でも私は年配の人に自分の仕事を説明する時「ホームページ作る仕事」と答えることがある。そして大抵はそれで納得してもらえる。
得体の知れないWeb屋という存在に、この程度の市民権を与えた、ということが、あの時代が残したものの全て、と言えるのかもしれない。

ロング イナフ

プログラマのための練習曲

200X

真っ白な大地に長大な人の列がある。
皆、下を向き、前の人の動きに合わせて少しずつ進んでいる。永遠に落ちることのない日が無数の影を落としている。

巡礼者の列だ。

私は、そこから少し離れた場所で、煙草を燻らせている。
かつては私もあの列にいたのだけど、どういうわけか、こうして列から外れてしまったのだ。
列からはじき出されたようにも、自分で望んだ結果のようにも思う。


芦田に声をかけられて我にかえる。目の前にはテキストエディタが開いている。
「決済処理、確認してもらえませんか?」
芦田はおずおずと言った。年は自分と変わらないが、入社時期は私より少し後だ。
プログラムの力量は私のほうがあったので、自然と彼は私の部下のようなポジションになった。
芦田の心中はわからないが、忠実な部下であろうとしているようには見えた。

私は、「後で見ておくよ」と言った。
テスト用のクレジット番号を入力して、連結テストして、ログを確認して…
手順はすぐに思い浮かぶ。しかし、いつもなら滑らかにターミナルを叩く手が動かないのだ。

このまま放っておけばどうなるだろうか、という考えが浮かんだ。
仕様書は不完全だ。まだヒアリングしないといけない箇所もある。
しかし、自分にはこの案件、いや仕事についての興味がまるで持てなくなっているのだった。

ショッピングサイトの構築をするというこの仕事も、納期が間近に迫っている。
クライアントの担当はロジスティクス(流通)業者側の仕様書を丸投げする以上の能力はないようだった。
あとは、一般的な仕様で。いい感じで。
いつものことだ。

今までの私なら、それなりの情熱を持って案件を進め、担当者の尻を叩いて仕様を確定させて、この時期にはデバッグに入れる程度の進捗を維持している筈だった。
しかし、今回ばかりはどうにもならなかった。担当者の無関心と同様に、私もシステムに無関心だった。エンドユーザーの顔は浮かばなかった。
まるで昔書いた長大で退屈な小説を、もう一度うろ覚えで書かされているような思いがしていた。


皆が帰った後のオフィスで私は、ショッピングサイトのシステムを書いていた。
午前1時を過ぎている。責任感というよりは、習慣のように私はキーを押し続け、ブラウザをリロードし、外見を整えた。
納期は過ぎていて、サービスインが迫っている。昼に見た、担当者の顔は青ざめていた。
多分自分は、今まさに「信用」というものをぶち壊しているんだろう、と思った。
だが、何の恐怖感もなかった。自分で作ったものを壊すぐらい容易いことはないのだ。



巡礼者たちのイメージがまた浮かんだ。
巡礼者の列を外れて自分はここにいる筈だ。
なのに何故、皆自分の後ろに並んでいるのか。そして一向に私が前に進まないので、戸惑っているのだ。

何故なんだろう。むしろ何故私が彼らをどこかに案内しなければならないのだろう。
地平線の向こうから、兎が一匹やって来るのが見えた。それには影がなかった。

兎はいつの間にか私の前に来ていて、ひょこんと立ち上がるとしゃがれた声で言った。

「君は歌いすぎたんだよ。ここで終わりだ。」

そうはいかないさ。私は心の中で反論した。



夜が明けた。芦田が心配そうに声をかけた。
「出来ましたか?」
私はうつろな顔で彼の不安そうな顔を見ていた。しばらくして口が開いて
「まあ、これでいいんじゃないかな」
とだけ言った。思ったよりも昔の根拠のない自信に満ち溢れた言葉が出たように思った。
証拠に芦田の顔は少し安堵しているように見える。

「納品は現場でやりましょう」
芦田はFTPでソースを転送し始めた。

瞼が思い。髪はボサボサで潤いがなく、掻きむしると指に絡まった。
納品先のシステム会社で、エンドユーザーが椅子に座ってシステムを触っていた。
システムはあらゆるところでエラーを吐き出した。動作そのものが不吉な重さを伴っていて、ひどい出来だな、と私は何の感慨もなく思った。

振り返ったエンドユーザーが怒気を孕んだ声で言った。
「この時点で、これ、っていうのはいくらなんでもないんじゃない!?」
クライアントの担当者は平身低頭で、言い訳をした。そして、一通り口上を述べた後、恨みがましく私を見た。

その顔は兎になっている。

「だから言ったじゃないか。もう終わってるんだよ。君は」

しゃがれた声は頭の中で響いた。だからなんだというんだ。
列に並んだのは君たちの勝手だろう。月給20万程度の下請けに何を期待していたんだ。馬鹿げた話だ。まったくもって。

「こいつは反省すらしていないよ。死ぬことすらできないんだ」

兎が呆れて芦田に言った。芦田はそれに答えず、私を心配そうに見ている。

「すいません。急いでバグフィクスします」
私は無表情で答えた。

201X

「辞めようと思うんです」

居酒屋のビールのジョッキを前に、新卒の福本が言った。
隣には共通の上司がいて、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

「良かったら理由を聞かせてくれないか?」
「やりたい事ができたんです」

といって福本は口をつぐんだ。それが何かは教えてくれそうにない。
上司はビールを一息に飲み干すと、店員におかわりを頼んだ。

そして、まだ君は始まったばかりだ。来年は後輩もできるんだぞ、と言った。

私は、今まさに巡礼者の列から飛び出そうとする彼を無感動に見ていた。
何かそれに不都合があるだろうか、長大な回り道をする以上の意味が。

「まあ、しょうがないんじゃないの?」

私は特に考えるでもなく言った。結論が決っているなら議論するだけ無駄なことだ。
上司は私を睨んで、すぐに黙った。

「あとは、この会社からどれだけのものを持ち帰るかだよ」

善意の先輩の顔を作って私は言った。
口にしたビールは苦かった。やりたい事?そんなものがある筈がない。私がそうであったように。

「もうちょっと教えたいこともあったんだけど。あんまり教えてやれなくて悪かったね」

とだけ代わりに言った。

「いえ、○○さんには充分教えてもらえましたよ。○○さんがいなかったらもっと早く辞めていたかもしれません」

そりゃ悪かったな。と私は内心思ったが、どうでもいいことだった。

上司は彼を説得することを早々と諦めたようで、自分の昔の経験を話始めた。
転職のこと、社会のこと、いかに自分が努力したか、ということ。

残念ながら、それが彼に響いているようには見えなかった。
巡礼に並ぶ者に、そこから逃れようとする人間の気持ちはわからない。


彼らは地平線に向かって歩き続けるだけだ。
誰かついてこないか、注意深く後ろを振り向きながら。
行き先に何があるかはわからない。オアシスの一つはあるかもしれない。
ただ、期待はしないことだ。
何も期待はできない。

「長くいすぎたんだよ」

私は呟いた。唐突な発言に福本も上司も訝しげな表情をした。

「もう誰も自由じゃない」

二言目は言わなかった。巡礼者の列を外れても、また違う列に並ぶだけだ。よりアテのない列に。


遠くで影のない兎が飛び跳ねている。それは喜んでいるようにも、私達を哀れんでいるようにも見えた。

スタープログラマの幻影

随想

最近久々に「スタープログラマ」という言葉を聞いた。

そういえば、私の中にもかつてそういう存在がいたなあ、と思い出した。
あえて定義することもないが、スタープログラマとは、先進的なOSSプロダクツを実装し、ブログなどでプログラミングを堂々と論じ、できれば単著の一つも書いているような人たちといったところである。

話の都合上、具体的な名前を出すが、高林哲氏、higepon氏、新山祐介氏などが、私にとってのスタープログラマであったし、少し時代を戻すとεπιστημη氏であるとか、賛否両論だとは思うが、やねうらお氏などの名前が挙げられるかもしれない。

スタープログラマというのは、駆け出しのプログラマやプログラム学習者にとっての目標であり、先輩であり、嫉妬の対象でもある。

彼らの言葉は絶対で、疑う余地もないことであり、私はそのプログラミングに対する思想を無条件に受け入れたし、彼らが使っているエディタや、ツールを真似して使ってみたこともあった。
(それで思い出したのだが、私が呪われたようにEmacsに拘泥するのも彼らのうちの誰かの影響だったような気がする)

そしてなんとか彼らに追いつこうと、もがき、自分を取り巻く環境が彼らとあまりにも異なっていることに憤ったり、ついには自分自身の才が、彼らの足元にも及ばないことを悟って絶望したりする。


だが、今の私に、彼らのような存在はもういない。
今の世の中にスタープログラマがいないという意味ではない。単純に私がそういった存在に興味がなくなってしまったのだ。

おそらく今もどこかにiOSAndroidの神的な人がいたりするのかもしれないが、私は知らない。
「スタープログラマ」という言葉を聞いたのも、あるブログを書いているプログラマらしき人がフリーランスになったという記事を見たのがきっかけだったが、正直私は彼が何者であるか知らないのであった。

それは、私がプログラミングに興味をなくしてしまったということを意味するのかもしれない。
少なくとも誰かの思想を無条件に取り込むほどウブではなくなってしまったのは確かだ。


ふと気になって、私にとってのスタープログラマ達の現在を調べてみた。
高林哲氏、higepon氏は無事Googleに入社あそばされたようだし、やねうらお氏については、今の若い読者にとっては電王戦での活躍のほうが有名だろう。

そうした彼らの現状と、ポチポチとWordpressのテーマに手を入れて日銭を稼ぐ自分の境遇を比較すると、随分とまあ、ひどい有様だな、と思う反面、若き日にジリジリと身を焦がした、あの焦りを感じることも、もはやない。
大した言い訳も思いつかず、人生というものはそういうものだ、という感慨があるだけである。

今でもプログラミングの勉強はしている、最新技術のキャッチアップだってまだやっているのだ。

だが、それはスタープログラマを追うためではない。日銭を稼ぐためと、あとは単なる惰性である。

こうして走り続ける彼らを追う私の足取りは止まってしまった。

あの頃の自分を突き動かしていたであろう、醜い嫉妬の炎は年月と諦念の中に消えてしまったということだろう。

しかし、若き日の嫉妬で得たスピードは習慣となり、慣性となって、まだ自分をプログラマとしてこの世界に立たせている。

そして何よりあの頃より自分は自由になったという確信がある。
今の自分にとって、それは、かつてのスタープログラマ達からの充分な贈り物のように思う。


総論として、今の人に言っておきたいのは、若い時に嫉妬はしておくものだということだ。
私達の大部分が彼らに決して追いつけないとしても、ユニコーンの「デーゲーム」の歌詞にある「ジョー・ディマジオ*1のような若き日の幻影として心の中に残すことはできる。

スタープログラマ達から得られるものとして、それ以上のものはないように思うのだ。

*1:歌詞を引用するとJASRACが削除要請してくるらしいので、引用はしない

かくして私は通知を再開した。今月の懺悔

定点

さて、年度末ですね。読者の皆様方におきましては、さぞご多忙のことと存じます。
私は「なろう」小説を書いていました。

Books&Apps様に寄稿させていただきました

blog.tinect.jp

今月は一本だけですが、1月の勢いで寄稿させていただきました。

寄稿する内容は、できるだけ非プログラマ、というかマネジメント層に末端のPGの常識を知ってもらいたい、という意図で書いている(つもり)なんですが、なんだか形式が小慣れてきた感があります。
かといって、このフォーマットで書けることも、もう思いつかないなあ、というのもあって、また来月はどうなるかわかりません。良い意味でも悪い意味でも期待していただけますと幸いです。

なろう小説を書いてみて

Webディレクターだけど、異世界の開発会社に転生した -前編- - megamouthの葬列

Webディレクターだけど、異世界の開発会社に転生した -中編- - megamouthの葬列

Webディレクターだけど、異世界の開発会社に転生した -後編- - megamouthの葬列

結局3回にわたって、なろう小説を書いてしまったわけですが、驚くほど反響がない、というかPVがないです。

私からはPVとtwitterぐらいしか皆さまの反応というのは見えないので、求められているのかと言われれば、大多数には求められていない、という判断をせざるを得ないのですけど、なんかこのジャンルはロングテールな反応が多い気もするので、あまり気にしないことにします。

twitterでも書きましたが、あまりブログに書くような内容でもないように思うので、カクヨムかなんかに移行するかもしれません。(とはいえ、この記号で出来た物語を書くことに意味が見いだせればの話ですが)

ただ、「なろう小説」を書くことについては、一ついいことがあって、フットワークが軽くなるというか、虚構に対する肩の力が抜ける、という効果はあるようです。

IT小説の未来

そのへんが結実したのが

www.megamouth.info

でして、書いた時に「やったった」感があったのは今思うと、フィクションの構築が思いの外上手くいったということにあるようです。
証拠に、出来上がったものは、引っかかりもないし、カタルシスもない、ユーモアもない、とないないづくしで情緒だけは辛うじて残ったかな、という印象でした。
(読者の皆さまも正直なもので、こちらも驚くほどアレな反応でした)

実は直前にSIerについて書かれた小説ということで参考にしようと

リブート! (双葉文庫)

リブート! (双葉文庫)

を読ませて頂いたんですが、IT小説としては、このあたりが上手く書ける限界なのかなあと思いつつ、まだもう少し模索したい気持ちが強くなります。
IT小説というジャンルを探求したい方は一読をお勧めいたします。


なんか延々とPVがない愚痴を言ってしまった感がありますが、半年前と比べたら読者の数は200倍ぐらいになっているわけで、ブログ書きとして贅沢な事は言えないな、と自戒しております。

また来月は小説を少し書こうと思います(えー)
論評というか「むしゃくしゃしてやった」系のネタがね、あんまりないんだよね。まあそのへんは年度末ということで一つ。

それではこれからもよろしくお願いします。

追記

そういえば、独自ドメインにしたことを書き忘れてました。
ちょっとした気まぐれで、独自ドメインa8.netアフィリエイトに参加しました。上記の書籍のリンクもアフィです。
特に儲けようという気はなくて、Buzzった時にどれぐらい広告踏む人がいるのかな、というのが気になってて、その準備というぐらいの意味合いです。
ちなみにadsenseAmazonアソシエイトは今だに落ち続けています。草々