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megamouthの葬列

長い旅路の終わり

あるいは静かな春の日々、今月の懺悔

こんにちはmegamouthです。
今月は時が流れるのが早いような、まあ多分仕事の都合でそう感じているだけでしょうが、
4月最後の日、審判の時、今月の懺悔です。

Buzzらない日々

結果論ではあるのですけど、どうも今月は腰が引けたエントリが多くて、ひとっつもBuzzりませんでした。
id:buzama-www_pipipipipi(ピピピピピ)さんあたりに言わせると
「Buzzを狙わねえ?そんなブロガーはいねえんだよ。欲しいんだろ?アクセスを?スターを?ブクマをよぉ?」
といったところなのでしょうが(勝手な想像です)
今月みたいな穏当なエントリでBuzzったりしねえかな、そしたらだいぶ楽なのにな、という
スケベ心があったのは確かなわけで、実際Buzzらなかったわけですから私は考えを改め、ピピピピピの爽やかな日記帳を10回朗読、読経した上で一から出直したいと思う次第です。
(勝手に名前だしたりIDコールしたりしてごめんね>ピピピピピさん)

Books&Apps様に寄稿させていただきました

blog.tinect.jp

blog.tinect.jp

今月は2本寄稿させていただきました。
特に後者はBooks&Appsさんの読者層の問題意識に合致した為か、それなりにアクセスが集まったようでした。

書いた経緯を残しておくと、古本屋で

私の文章作法 (中公文庫)

私の文章作法 (中公文庫)

こちらの本を見つけ、読んでるうちに文体が仙人みたいになっていき、前者のエントリを書いたのですが、
わりとドキリとするテーマを扱ったはずなのに、驚くほどウケなくて、次はもうちょっと煽り気味にしたほうがいいみたいだな、と書いたのが後者の記事です。

後者に関しては、文体云々はさておき、普遍的というよりは、ありきたりな問題を扱ったエントリ、という印象が自分には強いです。
なので、ここまでBuzzるとは正直思っていませんでした。
いい加減何が求められているかを、理解しないといけないと思うんですけど、さっぱりわかりませんね。

文学とよばれる文章とブログ

常々言ってる(言ってたっけか?)ように、私がブログを書く理由はBuzzった時の報酬系と、
文章を書き続けることで、自分がどう変化していくのか、という単純な興味にあります。

お陰様でいくつか、Buzzることもでき、また読者様にも恵まれ、文章について真剣に考える機会を与えていただいた訳ですが、
やはり、この原初的な表現手法には恐ろしいほどの深みがあって、どうにも見通せないな、というのが今の印象です。
こと文学、という領域になると

創作の極意と掟

創作の極意と掟

この本に書かれている技法一つとっても、プロ、アマチュア含め、大勢のガチ芸術家が一生をかけて探求している、という世界であり、
私のようなクソブロガーが何を言ってもおこがましいという気がします。

文章修行が最終的には「文学」に収斂していくというのは、どちらかというと到達するものではなく、そこに「落ちる」ものではないか、今私はそういう印象を持っています。

なので、もう少しブロガーとしての位置に踏みとどまりながら、自分なりの表現を探していけたらなあとも思うのですけど、
結果的に、何やら気味の悪い中年の文章アーカイブが出来上がるのも恐ろしいものがあり、やはりここは読者様の厳しい目と、Buzzという大衆的な扇動を視野にいれてこそバランスが取れるものではないか、という気がしています。


そう思うんだったら、大してウケもしない小説っぽいエントリ辞めろって話なんですけどね。

音楽(Amazon Prime Music中心に)

文字数が余っているので、音楽の話でも。

最近CD買うのも探すのも面倒で、一番安いAmazonPrimeMusicでBGMを探すことが多いんですが、私のようなアラフォー、エレクトロニカ好きが見つけたアルバムを適当に紹介していきます。

Prays

Prays

なんか好みが合うなあと思ったら同世代の日本人アーティストだったりするのがアレですが、美しいメロディーを持ったエレクトロニカです。

Music For An Accelerated Culture [Explicit]

Music For An Accelerated Culture [Explicit]

アラフォーにもなってこういうのが好きだというのも困ったなあ、というところですが、実際のところこのエネルギーは素晴らしいです。Primeにはありませんが、"For the Masses"もお気に入りです。

Miracle Milk

Miracle Milk

アラフォーにもなって(以下略)。いや実際ボカロには一切興味を持ったこともないし、そこ出身の若手アーティストにも良い印象は少しも持っていないのですが、そういう愛憎を超えて、気がついたら聴いてしまう一品。Miliの歌声は素晴らしいとは思うのですが、同時に「媚び」も感じてくすぐったいんですよ。でも才能と努力がつぎ込まれた作品だとは感じます。アルバム通して聴くと疲れちゃうんですけどね。まあ歳ですわ。



今月はそんな感じです。

33歳のベースボールゲーム

「自伝を書けば5万円くれるってこと?シマさん本当にいいの?」
木村さんは意外そうに言った。
「いいですよ。ただし、ある程度長くないとダメですよ。4万字は書いてください」
私はきっぱりと答えた。

「原稿用紙100枚分でしょ。自然に書けばそれぐらいになるよ。」
木村さんは事も無げに言って「5万かあパソコン買い換えられるなあ」
と早くも皮算用をし始めた。

木村さん

会社を鬱病で辞めた私は、暇つぶしにネットに出会いを求めた。
その手の掲示板を使えば深夜1時に話相手を求める人間を探すことは容易だった。
不思議なことにそうして仲良くなった人物はどこかしら問題をかかえていたが、その中でも木村さんは一級の存在だった。

まず、無職である。
私より年上の33歳である。
そして、プロフィールには「話す相手がお母さんしかいない」と書かれていた。

最初に彼と話した時、身の上話になった。
私が正直にシステム会社を鬱病で退職した事を言うと、木村さんは「労災は?」と言った。
「そこまでは請求しませんでしたよ。原因が仕事にあるかはっきりしなかったし、会社とも揉めたくなかったので」
「どうしてよ。労働者の権利だよ!」
と木村さんは言った。
彼もまた、あるゲーム会社をメンタルの病気で辞めた人だということを、私は知った。

私達はお互い暇なこともあって、それからもよく通話をした。

木村さんには知的な面があった。たしかどこかの地方大学の文学部を出ていて、
会話の中で私がふと「言語空間」という言葉を使うと、すかさず「そういった単語は必要もなく使うものではないよ」と怒られた。
そうかと思うと、伝え聞く彼の日常は、パチンコと出会い系のサクラに延々とひっかかり続けるという、知性の欠片もない出来事で占められていた。

「パチンコってのはさ、買った負けたじゃないんだよ。そこに至るストーリーなんだよ」
と木村さんは胸をはっていたし、5000円ほど課金して出会った地元の女の子にデートをすっぽかされても「場所がわかりにくかったかもしれないね。あれから返信ないけどさ」
とあくまで相手の悪意を疑うことがなかった。

その行動力や無邪気さが琴線に触れたのだろうか、私は彼の人生に特別関心を持った。

私は木村さんに、「自伝を書きませんか?」と持ちかけた。
「原稿料は出します。書いたものの権利も木村さんにあります。ただ書き上げて僕に見せてくれればいいんです」
「それシマさんに何のメリットあるの?」
「木村さんの物語が読みたいだけですよ。そうですね原稿料は5万ってところでどうですか?」

自伝

木村さんは「自伝」を書き始めた。
本人の希望で非公開のはてなダイアリーに原稿を書き進めていき、私がそれにコメントする形で編集、校正するという形をとった。

大学の卒論のこと
新卒でプランナーとしてゲーム会社に入ったこと
あてがわれたPCが古くてディスプレイが滲んでいたこと。

文章はところどころ怪しく、読みにくいものだったが、私はそれをいちいち指摘していった。
ダメだしばかりでは本人のモチベーションが下がってしまうと考えて、良かったところ、生々しい人生を感じられる部分は大げさに褒めてもみた。
木村さんも筆がのってきたようで
「これ友達に見せてもいい?、同人誌にして出してみてもおもしろいかもしれない」
と言い出したりもした。
「もちろんいいですよ。私は読めればそれでいいんで」と私は答えた。


1万文字ほど書いた頃だったろうか、だんだん文章が乱れてきて、意味を読み取るのも難しくなってきたと思うと、更新のペースが目に見えて遅くなった。

私の編集コメントが悪かったかもしれない。私は心配して木村さんに連絡した。
「シマさんのコメントはありがたいよ。友達にも見せたけど、『すごい的確で笑える』ってさ」
と木村さんは明るく言った。

「今さ、ネットラジオをやったりしてて忙しくてさ、申し訳ないけど待っててほしいんだよ」
「それはいいですよ。別に締め切りがあるわけでもないですし…」

しかし、「自伝」の執筆がそれ以上進むことはなかった。

話は、新卒の木村さんがゲームのマニュアル執筆に関わることになり、社長と内容について議論を行うところで止まっていた。


私も他のメンヘラ交友に忙しく、木村さんとその自伝のことも忘れかけていた。
ある昼下がり、木村さんのことを思い出した私は、彼がやっているネットラジオを聴いてみた。

ラジオでは木村さんがスーパーのレジ係に好意を寄せているという話で盛り上がっていた。
当時のネットラジオでは、リスナー用に掲示板が用意されていて、数名のリスナーが珍しい動物の反応をためすように、「レシートの裏に携帯番号書いて渡せよ」とか「指輪持っててレジ通してもらえよ」などと木村さんをそそのかしていた。
そういうリスナーの書き込みに木村さんは笑って「そういうのはダメだろー」と相変わらずの調子で返していくのだった。

「あ、もう時間だね。それでは最後の曲です。
ミッシェル・ガン・エレファントの『世界の終わり』」

64kbpsのギターが鳴り響いた。

世界の終わり

音楽がフェードアウトした後、私は木村さんにコールした。

「おーシマさん久しぶり」
「聴いてましたよ。ラジオおもしろいじゃないですか。」
「いやー全然リスナー増えないよ」

それから私は、自伝の話をした。
催促するわけではないんだけど、あの話その後どうなったんですか?と。

「あれから納期前になって、色々雑用しなきゃいけなくなってさ。」
「そこでも色々あったんだけど、こっちはマニュアル書かなきゃいけないし、テンパちゃってさ、納期前日だったかな?狂ちゃって」
「狂ちゃって?」
「まあいいじゃない。そのへんは。」
木村さんらしからぬ、曖昧な言い方だったので、私もそれ以上聞く気にはなれなかった。


「それよりシマさん。俺元々ゲームのプランナーじゃない?ラジオでさゲームの作り方っていうのをやろうと思ってんのよ。シマさんプログラマだったんだよね?」
「そうですけど」
「これ作ってみたんだけど、一度見てくれない?」

といって木村さんはファイルを送ってきた。展開してみると、HTMLとJavascriptで出来たゲームのようなものが出てきた。
私がそれを実行すると、粗末なグラフィックのピッチャーとバッターがブラウザに現れた。
ファミコン時代の野球ゲームのような画面だった。

「投球」というボタンを押すと、ボールも何も表示されず、真ん中に「2塁打」と表示された。

「これどうやって操作するんですか?」
「まだないんだよ」
「打席を進めるだけですか」
「そう。でも、ちゃんとゲームは進行するよ」

確かにランナーが二塁に現れた。
続けて「投球」ボタンを押す、「ヒット」、ランナーが二人になる。「三振」「セカンドゴロ」
ツーアウトになったところに「ヒット」が出て、1-0になった。その後は「サードゴロ」でアウト、チェンジ。相手の攻撃に移った。

「どう?」
「どうっていうか。ゲームとしては何とも…」
「そうだよね。これじゃあ、野球のシミュレーションだよね」
シミュレーションというか、サイコロを振って、ランナーを進めるだけのシステムに近い。

「でも見てると楽しいんだよ。けっこういい試合したりしてさ」
よく見ると選手のヘルメットの色が木村さんが好きなドラゴンズの「青」と、嫌いなジャイアンツの「橙」になっている。

「選手の能力とかあるといいですね」
私はせめてものアドバイスとして言った。
「そうだよねーでもなんだか、ここで満足しちゃって。なんだか続き作る気しないんだよね」

「あんまり無理すると昔みたいになっちゃうしさ」
「狂っちゃうんですか?」
「そう、なんかさ声が出ちゃうの。「あー」って。そんでそれが止まらなくなってさ」

そう言って、木村さんはゲーム会社を去った時の出来事を語ってくれた。

最初のゲームがリリースされる直前、抱えたタスクを処理しきれないと確信した木村さんは、突然深夜のオフィスで立ち上がり、「あー」と叫び始めた。
まわりが怪訝に見ているなか、その叫び声は延々と続いた。
何人かが、木村さんに声をかける。体を抱えて座らせようとするが叫び声は止まらない。
オフィスに一本調子の「あーーー」という声がずっと響き渡った。

誰かが救急車を呼んだ。

木村さんの記憶はここで終わっている。

33歳のベースボールゲーム

「ゲーム作りたいんだよね。それでも」
木村さんは寂しそうに言った。

木村さんのゲームは6回まで進んでいた。スコアは4-3でドラゴンズの1点リードだ。
確かにいい試合に見える。

このゲームを操作できるようにしたり、グラフィックを今風にしたところで、
何かが変わるだろうか、と私は思った。

ゲームの中の世界はこれはこれで完成しているようにも思える。
例えそれがコンピューターの計算する擬似乱数の結果だとしても、バッターはヒットを放ち、ピッチャーはピンチをしのぎ切る。

それは一つの世界に違いなかった。

木村さんの世界、世間からは終わってしまった後に見える世界が、このシンプルで、完全な世界を作ったのかもしれない。

「おもしろいですよ。このゲーム」
投球ボタンを押しながら私は言った。
「そう?」

ブラウザの中で、ドラゴンズのバッターがダメ押しのタイムリーを放った。


cult grass stars

cult grass stars

就職氷河期世代について私が言える事

anond.hatelabo.jp

を読んだ。なかなか怨念と諦念が込められた、いいエントリだと思った。

さて、私も一応は氷河期「世代」の末期に属するわけだが、このエントリの筆者と違って真面目に生きる気が欠けていたし、大学を卒業していればそれなりに生計もたてられる立場だったのに、それらを全てドブに投げ捨てたうえに、今や抗うつ薬眠剤をアルコールで流し込んでるドクズなので、エントリ主とは一緒にして欲しくはない類の人間だと思われるが、少しこの「世代」の感覚を残しておきたいと思ったので書く。

果たされなかった約束

就職氷河期世代というのは「約束を果たしてもらえなかった世代」と言えるように思う。
ここで言う「約束」というのは、

世間的な規範に反しさえしなければ、毎日働くことが出来、妻と子供を作って、家庭を築ける程度の甲斐性を与えてもらえる

という高度成長期以降の若者に当然のごとく与えられ、そしてまた今の世代に与えられようとしている「約束」のことである。

前掲したエントリで「誇り」と表現されていたものが、これを指すかどうかは定かではないが、まあ、氷河期世代の恨み節の大半というのは、こういう「約束」を社会や不景気によって一方的に破られたところにあるように思うので、そう遠からず、といったところだと思う。


ここで見誤ってはならないことは、本質は人生の「悲惨さ」そのものにはない、ということだ。
氷河期世代に限らず、自分の人生を「悲惨」だと規定しようと思えば、これほど簡単なことはない。人生のうち、悲惨なことだけを語ればいいのだから。

なので、この話の本質は氷河期世代の「悲惨さ」にあるわけではなく、私達だけが社会の約束を失ったという、世代間の「不公平」である。

氷河期世代に関する議論について

さて、先のエントリのブコメに限らず、氷河期世代についての「議論」の大半は

氷河期世代の「不遇」が自己責任によるものか、または当時の社会情勢に起因するものか

という点と

・現状の「不遇」に誰が対処すべきか、または対処させるべきなのか

という二点の組み合わせで成立してしまっているように見える。

人生の中で起きる出来事というのは、例えそれを一個人に限定させても、単純な二元論で説明できるものではないので、こうした意見がどれほど出ようとも、当人が納得するような意見が出ることは有り得ないし、ましてや、我々の世代全てを納得させ得るような統一した結論が出ることは期待もできないだろう。

なので、氷河期世代の悲劇に対して「こうすべき(だった)」というような話にする事自体が、アラフォーになってしまったこの世代としては「今さら何だよ」と感じるのであるし、つまりは自分たちをネタに議論してくれ、と頼んだ覚えはない、としか言いようがなくなってしまう。

氷河期世代の行き着く所

では、氷河期世代はどうしてほしいのか。

エントリ主の言うように、政治的、社会的なサポートがこの世代に与えられてしかるべきだ、という意見には、賛同しなくもないが、現状のところ期待もできないし、それを求めるつもりも自分にはあまりない。

私は、世界を敵に回して大立ち回りを演じようとして舞台に出る前にすっ転んでしまった人間だし、このブログで天下国家について語るつもりもないからだ。

ただ、一つお勧めがあるとすれば、全てを「味わい」として受け入れることだと思う。
人生は味わいに満ちている。挫折も絶望は、苦いし不味いが味わいは豊富だ。

悲惨な人生。不公平な人生。その結果が、社会や失政にもたらされたとか、人生の選択に誤ったからだ、とか、そんなことはどうだっていいことだ。

想像してみればいい。大した苦労もなく大きな企業に入って、外の世界を知らず、守るべき物を作らされ、街にたむろする無職や非正規労働者に優越感を感じ、同時に彼らの得体の知れない薄ら暗い目つきに怯える日々。

そのどこに今、私達が持っている深い味わいがあるというのか、くだらない保身と惰性の塊ではないか。

私達には、こうした美学が残っている。例え、外野が、そんなものは美学でもなんでもない、ただの敗者(クズ)の論理だとがなりたてたところで、私達には一切の説得力も持たない。何故なら私達は彼らとは違うからだ。

社会が私達に与えそこなった物に比べれれば、果たされなかった約束に比べれば、私達だけはこういう考え方をしても許されるのではないか。

少なくとも私はそう考えている。


ジェネレーションX―加速された文化のための物語たち (角川文庫)

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