megamouthの葬列

長い旅路の終わり

遠い音楽

音楽が、孤独な人間の味方であり、夢であった時代があった。

夕暮れの強い西日の差し込む自室に、浅く埃のかぶった黒く大きなラジカセが奏でる音が、受験勉強に勤しむ青年の心の支えであったり、本を読み空想の世界を旅する少女に寄り添えていた時代があった。

彼もその時代の人間の一人であり、やがて自分でも音楽を作ってみたいと夢見るようになった。しかし多くの人がそうであるように、音楽の始め方も作り方も自分には何やら縁遠く、途方もなく、到底できることではない、と感じているのであった。

ある真夏の暑い高校の体育館でのことだ。こちらに転がってくるバスケットボールを待ちながら、彼はふとこう考えた。「一生」をかければどうだろうか?と。

一生をかければ、自分のような凡人にも、人を感動させられる曲を作れることがあり得るのではないだろうか?と。頭の中ではSyzygyのCan I Dream ?という曲が流れていた。


16歳の青年の考える「一生」は果てしなく長い。永遠にも似た遠い旅路の果ての話だ。出来無いことなどないようにも思える。

彼は、早速貯金を全て振り出して、中古のシンセサイザーを買った。Roland XP-50 music workstation。当時のハイエンド音源とシーケンサーを内蔵した。言うなれば一台で音楽を作れる機械だ。

コードもスケールも知らず、音色(おんしょく)の合成方法もわからない高校生に、それは分の過ぎた買い物であったかもしれない。だが、旅は始まったばかりだった。

彼は来る日も来る日もXP-50のボタンを弾き続けた。やがて、彼はXP-50を早撃ちのガンマンのように俊敏に操れるようになった。

未完の20秒ほどの「フレーズ」がフロッピーディスクにどんどん貯まっていった。XP-50のボタンは1年ほどで次々と壊れ、何度も修理に出さねばならなかった。


それから2年ほどがたって、彼はデモテープを作るようになった。まがりなりにも「曲」という形式で、彼はそれを友人に聴かすことができるようになっていったのだ。

友人はDJ志望だった。高校最後の学園祭で、クラブのような教室を作ろう、という話が持ち上がった。

彼の初ライブだ。乱雑に後ろにどかされた椅子の山に、数人の友人たちがいた。彼は黙々とXP-50のボタンを叩き、トラックの操作をし、鍵盤を奏でた。不思議と気負いも緊張もなかった。勝手に音楽が、曲が流れているようにも思えた。それは自分の音であり、魂であった。

最後の静謐なアンビエント曲を演奏し終えた彼はふと顔を上げた。教室には、一人しか残っていなかった。二言三言、会話したことがある程度の同級生の少女だった。目が合うと、逃げるように彼女は教室を出て行った。


教室に一人残された彼は、それでも思った。


遠い音楽だ。とうとうあの遠い音楽に手が届いたのだ。




その後も彼は音楽を続けた。時には歓声の中で演奏したし、誰もいないフロアで黙々と電子音を響かせることもあった。

だが、どこにいても、あの時のような感覚は味わえなかった。音楽はいつもひどく遠かった。彼は自分の曲の感想を人に求めることはしなかった。みっともない気がしたからだ。だがその実、自分が今、どのぐらいの高みに登れているのかを切実に知りたがってもいた。

足取りがひどく重くなっていくことに彼は気づき始めた。

なにをやっても同じことを繰り返している感覚だった。コード進行もスケールも前と同じ。この音色も前に作ったものの使い回しだ。

まったく畑違いの仲間とバンドを組んでみたこともあった。彼が出すアイデアはバンド仲間には新鮮に見えたようだったが、彼は曇った暗い目で彼らの様を見ているだけで、まるでミキシングエンジニアのように、特に感心もせず黙々と職業的にPCを操作して、レコーディング作業を進めていった。XP-50は修理不能の故障で、彼の自室に立てかけられたままになっていた。

やがて、バンド仲間が去った。その頃には曲はまとまらず、ひどく陰鬱な音楽の断片が出来上がるだけの状態になっていたのだ。

その時になってやっと、彼は仲間を騙していたことに気づいた。とっくの昔に、自分は音楽を諦めていたというのに、遠い音楽に向かう気もなくなっていたというのに、ずっと仲間とそこへ歩んでいるフリをしていたのだと、気づいた。

その日、バイト先の廊下に腰掛けて彼は呆然としていた。背後の屋上に続く階段からは赤い夕日が差し込んでいる。

振り向きはしなかった。沈みかけた太陽を背にして、最初のライブの時にいた少女が立っているのだ。そう感じていた。彼女は自分を責めるでもなく、憐れむわけでもなく、ただ居心地が悪そうに彼を見つめているのだ。

音楽に届かないのは、あの時を自分が忘れなかったせいだろうか、と彼は考える。たった一人のための音楽を、何の野心もなく、純粋に奏でることが出来た日々を。「一生」は彼が考えるよりずっと短く、邪な気持ちが芽生えるには早すぎた。


やがて、彼は立ち上がり、仕事に戻った。ずっと遠くで、誰かの唄が聴こえるように思えた。