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megamouthの葬列

長い旅路の終わり

ここ最近の懺悔

定点

カクヨムに書いてみた話

ここに文章を載せるついでに、昔書いたそこそこ長い一連の文章(例によって途中で放棄されていたものですが)が見つかって、読み返してみるとそこそこにおもしろいような気がしないでもなかったので、カクヨムに載せてみました。

kakuyomu.jp

受けたらいいな、という思いと受けなかったら続きを書く必要もなくなるわけで、それはそれで楽で良いという思いで載せましたが、だいたい3人ぐらいが通り過ぎて、唾を吐きかけられた程度の扱いを受けたような感じです。なので、作者の僕からはどうしようもなく暇ならどうぞ、とだけ。

挨拶まわり

最近、仕事関係でお世話になったことのある会社に挨拶まわりをしています。仕事くれたらいいなあ、という下心がないわけではないんですが、目的としては、一応生きていることを報告する、ということになります。どの会社も苦しそうで、雇用を確保するのも大変そうなのですが、顔を出すと僕のことを心配してくれるので、自分が彼らを幸せにできる力があればどれだけいいだろうと思ったりもします。さて、世界がそんなにメルヘルチックではないことに気づいたのは幾つの時だったでしょうかね?

twitterの閉鎖

暇なのでTwitterでボツボツとどうでもいいことをつぶやいたりしていたのですが、たまに、これまたどうでもいいことに、リアルの友人と議論になったりすることもあって、ある議論がどうも噛合わないなあ、と思っていたら突然旧知の友人にブロックされたので、悲しいというか、その時に自分が何のゆかりもない他人に依存しかけいたことに気づいて、愕然として、twitterやめることにしました。知ってる人なら知ってると思うのですが、twitterはアカウントの復活ができて、なにかれともかく復活を呼び掛けてくるので、一番いい方法は、捨てアドにメールを変更しつつ、パスワードを30文字ぐらいに設定して、パスワードと捨てアドを燃やすことです。これで、パスワードでのログインもメールアドレスでの復旧も不可能になります。こういうわけでまだ僕のアカウントは僕が決してアクセスできない場所で残っています。「はい、おわり」とだけ書かれたアカウントの様子は少し墓碑にも似て、わりと情緒があるようにも思えます。

そういえば、前掲した挨拶まわりの時に、フォロワーだった人から僕のツイートが「まるで血を流しながら書いているみたいだった」と言われ、救われたような、いやいくらなんでもそれほどでもないだろう、という思いを同時に抱いたりもしました。あまり耐性のない人には僕の世界への怨嗟の情というのは異常に見えるようですね。でもこんなの、少しインターネットをまわれば、そこら中に巻き散らかされていると思うんですよね。いい大人である僕がそれに参加する筋合いはない、というのはその通りですが。

妄執と自由

僕は音楽でも文章でもプログラムでも、とにかく創作というものに妄執をもっていて、今のように何もしない日々というのは色々と不都合があるので、まあこうして懺悔しているわけです。昔は自分がどうなるか、ということにあまり興味がなかったので、なるようにこうなったという感想ですが、今自分がこのまま創作を続けたとして、どこに辿り着くのか、ということを2,3回考えて、「創作に妄執している人間」にしかなれないだろうなあ、という結論に至ってしまって困っています。仮にこのブログが月間50万PVあったからって、収入が月120万あったとして、それが何だいうのか、と言われれば特に何もないのではないのではないでしょうかね。そりゃ生活は楽になるでしょうが。
だから結局のところ、僕は自由を求めるべきなのだろう、という点で落ち着いています。この困ったら「自由」と言い出すのは僕の師匠のアイデアで、妄執とちょうどよい距離の保つ冴えたアイデアだと今になってわかるのです。ある人からは「アマチュアの考え方」だといわれましたが、ま、そういうのは糞くらえだってことですよ。そう思わない?