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megamouthの葬列

長い旅路の終わり

SoundCloudという砂漠

先日、「お前の曲はcoolだ、俺たちがプロモーションしてやる(から金よこせ)」的なスパムメールが来た。
ネットに自分の曲(といっても、もう15年前ぐらいに作った曲ばかりである)を残していた覚えはなかったのだが、
書いてある曲名は確かに私の作った物だった。
不思議に思って、しばらく検索してみると、MySpace(!)に2曲ほど自分の曲がアップされているのを発見した。
どうもMySpace全盛の時代に試しにアップしたのをそのまま忘れてしまったようだ。
おそらく件のスパム業者はこのあたりからクロールして、適当にメールを送ってきたのだろう。

いい機会なので、HDDを掘り起こして、昔作った曲を全てSoundCloudにアップしてみた。何か新着のようなものに掲載されたのかもしれないが、
早速、お知らせアイコンが点灯して、2,3いいネされたり、フォローされたり、スパムコメントがあったりしたが、
起こることと言えばその程度で、しばらく放置していると週の再生数も0になった。

私はうーんと考えこんだ。
実は私のまわりには未だに音楽を作り続けている友人がいて、彼らは軒並みSoundCloudを使っている。
あと、小さなクラブなどで昔ながらのエレクトロニカのライブなどをやっている人と仲良くなったことがあったが、彼も「良かったら聞いてください」とSoundCloudのURLを送ってくれた。

それらの「現役」のSoundCloudの曲達はそれでも再生数が1,000にも及ばず、10~20のいいネがついているぐらいである。

あまり比較対象にならないかもしれないが、このブログだって、少ない時でも一日1,000前後の閲覧数はあるし、Youtubeの弱小チャンネルでも通算して10,000ぐらいの再生数はあるだろう。それと比べると、SoundCloudの再生ボタンを押される数はあまりにも少ない。と感じる。

私は昔、音楽をやっていたのでわかるのだが、楽曲を作る手間や苦労は、ブログの記事を書いたり、適当なYoutube動画を作る比ではない。
まず楽器を弾けなくてはならないし、コードや学理をある程度覚えて、無数のアイデアを試行し、自分のスタイルを築きあげなければならない。

そうした苦労を経て、音楽家というのは曲を作り続けている。ほとんどの場合は、そこに何の報酬もないので、彼らが創作する動機は、いい曲を作りたい、誰かに聴いてもらいたい、という極めて純粋なものになる。

そうした彼らがアップしているSoundCloudのプロモーション能力の低さは驚くばかりだ。そもそもSoundCloudは楽曲のホスティングサイトであって、
プロモーションサイトではない、ということなのかもしれないが、こと創作音楽のプロモーションという意味で言えば、
Youtubeにしろニコニコも大同小異なところがあって、例えば、類まれな名曲をアップしておけば、3ヶ月後には大量再生され、コメントが殺到している、というような展開はほとんど有り得ない。

歌ってみた動画、やボカロ曲はどうなのか、という重要な疑問が生まれると思うが、あれは言わば内輪のハイコンテキスト音楽であって、
すでに一定数のリスナーを抱えている曲や歌い手、ボカロ曲というジャンル、といったコンテキストがあって、その上で何かを作っている状況なので、あくまで内輪の中では
その質に関わらず一定数の注目は集められるのだ。(嘘だと思うのなら、ニコニコの「その他」ランキングでも眺めてみればいいだろう)

もちろんそれらの中にも質の高い動画や、名曲はあるとは思うが、私が問題にしたいのは、それらのコンテキストに載らない創作物が、
SoundCloudで埋もれてしまう現象についてである。
(念のために言っておくが、自分の曲が注目に値する名曲だと言う気はないし、もちろん、このエントリ中に自分のSoundCloudへのリンクを貼る気もない)

ミュージシャンの見栄

ミュージシャンというのは見栄っ張りなところがあって、とかく純粋であろうとするところがある。
例えば、ジャニーズのTOKIOのライブ風景を見て、「演奏がなってない」と毒づいてみたりする。
これは実際、何かの質問サイトに載っていた意見だったのだと思うのだが、実際TOKIOの演奏というのは音楽的に優れているというよりは、
パフォーマンスや演出的に(断トツに)優れているのであり、城島リーダーのギターの「ピッキングハーモニクスが甘い」、とかそういう観点で見るべきものではないのである。

若いミュージシャンはこういったパフォーマンス、例えば氣志團の衣装やスタイルを「邪道」と見なして、「俺は曲で勝負すっから」とか「俺にとって曲って自然に出てくるものだから」などと気取った戯言をわめいて、誰も聴いてくれない不遇を誤魔化したりしているものだが、大人になった私からいわしてもらうと、パフォーマンスも立派に「音楽」の一部なのである。

そもそも誰も聴いてくれない曲に価値がないことぐらい、当のミュージシャンが一番気がついてることではないのか。「音楽」を通して誰かを感動させたり、楽しい気分にさせるのが君たちの仕事であり、それならば手段を選ぶべきではないし、「音」以外の手段をとったミュージシャンのあら捜しをしている場合ではないのである。

もっと言うと、純粋ミュージシャンは「音」に偏重するあまり、いい曲さえ作れば、勝手に人気が出てレコード会社がスカウトに来てくれるみたいな幻想を(さすがに今はもうないかもしれないが)抱いている。だが先程も言った通り、リスナーもそのプロであるスカウトも、みんな君の「音楽」を見ているのであり、君の「音」はその一要素にすぎないということは自覚すべきだろう。

SoundCloudはなぜ砂漠化したか

あまり関係のない話を書いてしまった気がするが、SoundCloudというのは前述した「音楽」で言えば、純然たる「音」しかない世界と言える。
だからこそ、純粋ミュージシャン諸氏に支持されている部分があるのかもしれないが、
メディアに露出しているような著名なミュージシャン(既に自分のコンテキストもそのコンテキストの愛好者たるファンを持っている)ならSoundCloud音楽配信プラットフォームとして有効に機能するだろうが、無名のアマチュアミュージシャンにとっては、学ランを着て録音してもそれがリスナーに伝わることはないわけで、プロモーションにはとかく苦労することになると思う。

結果として、無数のコンテキストを持たないミュージシャンの残骸が砂となってSoundCloudに溢れることになる。

ある意味SoundCloudは、あまりに純粋に音楽を捉えすぎていたのかもしれない。


最後にゴシップニュースを引用する。

block.fm

google神がSoundCloudを買収すれば、新しい動きもあるかもしれない。

だが、今のところSoundCloudは(自分でコンテキストを持たない者や作れない者にとっては)非情な場所である。