megamouthの葬列

長い旅路の終わり

4つのしまりのない鎮魂曲 3/4

3

そこの停留所からバスで20分ほどだ、と三島に言われて、その鍾乳洞にやってきたが、入り口から5分ほどで、私はサンダルで来た事を後悔しはじめていた。

進路は金属板や平らにならされたコンクリートであったが、それらは天井から際限なく落ちてくる水滴によって、軒並み濡れており、スポーツサンダルとはいえ、何かの拍子にいかにも、つるっと滑ってしまいそうで、私は階段を一歩一歩踏みしめて登るのに苦労した。

不安な足取りを支えるため、私の手は自然と洞窟の壁に向かうのだが、溶け出した不気味な石灰質が、そこに手をつけた途端、柔らかいクッキー生地のようにグニュと纏わりつくことを連想させて、私を躊躇わせるのだった。

そうこうしているうちに、ようやく平らな場所に出た。係員らしき中年の女性がマグライトを持って立っている。

「ここが中間地点になります」
と彼女は精巧なアンドロイドのような自然な発音で言った。
「増水するたびに、その穴から水が吐き出されます」
マグライトで壁にあいた小さな穴を示す。

私がライトが照らし出す暗がりを判じかねていると、ライトはすぐに穴の下にある、小さな水たまりを指した。

「ここに一匹小さな魚がおります。見えるといいのですが。」

小さなどよめきがあった。いつのまにか観光客が私の後ろに集まっていた。
山中にぽっかりと空いた巨大な鍾乳洞の中に生き物がいるということに、私もまた驚いたし、同時に少し居心地の悪い思いもした。

「一体どこから来たのかね?その穴から流れ込んで来たのかね?」

私は独り言のように呟いた。係員は「そうですそうです」と得意げに言った。

「いつかの増水の時、その龍口から迷い込んできて、それ以来ここに住んでおるのです。」

ライトは水たまりの上でグルグルと円を描いたが、魚の姿は見えなかった。

「時々、餌をやっております。」

と彼女は胸を張った。



三島から葉書が来たのは、初夏の頃だった。

今、四国の南国にある、さる施設にいるから暇なら来て欲しい。とあった。

私と三島は高校以来の仲だ。私が大学に入って、6年もいたあげく中退し、働き始めた頃、三島は就職はおろか、大学に入学してさえいなかった。

「6年も浪人してると、もう浪人でもなんでもないわなぁ」
と彼は居酒屋で笑った。
医学部や美大といった難関大学に入ろうとしているわけでもない。
もはや親のほうは、大学ならどこでもいいと思っている。だが、三島は大学に入ろうとも、働こうともしないのだった。

「お前はやりたい事があって良かったやんか」
としきりに三島は言った。私がプログラマとして身を立て始めた頃だった。

「俺にはそれがないんやわ。ずっと考えたんやけどな。なんもないわ」
と、焼酎を煽った。


三島と私は高校時代、一番仲の良い友人ではあった。ずっと眠たそうな目をしていて、話が上手いわけでもなく、勉強は可もなく不可もなく、という良くも悪くも目立つタイプではなかった。

ただ、私は彼の笑う所が好きだった。特に、私がシュールとも言えないような奇怪な妄想を話すのを好んでいた。

例えば、美術の時間。皆がデッサンをしている間、私がこっそり自分のスケッチブックにクイズを書いて三島に渡す。

「一天四海を睥睨し、あまねく人民に慈愛の眼差しをおくられるお方は?」

「さあ、わからんなあ。」
と三島は眠そうにスケッチブックをめくった。そこには大きな字で 「陛下」 とだけ書かれている。三島が吹き出して、「ええなぁ!『陛下』はええわ!」と哄笑する。
自分で書いていて何だが、気が狂ってるとしかいいようのない遊びではある。だが、こういった遊びが出来るのは高校の友人の中でも三島だけだった。

三島と私はそれから随分長い間、オンラインでもリアルでも付き合いがあった。

私は零細企業のプログラマとしてうだつの上がらない生活を送り、三島のほうは相変わらず、何もせず年中酒を飲んでいた。

ある日、三島から電話があった。そして平生と変わらない、淡々とした口調で言った。

膵臓半分切ったわ」

アルコールか、それともストレスか。病名を聴きそびれたが、彼の膵臓はほとんど使い物にならなくなっていたらしい。

それを契機として、三島の身辺は一変した。母親の伝手でとある宗教の道場に入れられたり、アルコール中毒者用の病棟に入ったりしていたようだ。節目節目でついていた彼との連絡もそのあたりでパッタリと途絶えた。



そして、今手元に彼の葉書があった。その頃フリーランスになっていた私は、今やっている仕事が一段落すれば、ある程度時間を作ることはできた。


市内からバスを乗り継いで2時間ほどのところに、その施設はあった。どうやら精神病患者用の自立支援施設の一種らしかった。

面会用の部屋に通されて、窓の外の水田の青い稲穂が風に靡くのをしばらく見ていると、ジャージ姿の三島がやってきた。 多少やつれてはいるが、思ったよりも健康そうに見えた。

「よう来たな。何もないけど、ゆっくりしてくれや」

と彼は言って、部屋の片隅に重ねてあるコップを取ってポットから湯を注ぐと、ティーバッグの緑茶を淹れてくれた。

「もう、さすがに酒は飲めんからな」
と笑いながら半分無くなった膵臓のあたりをさすった。

私は元気そうでなにより、だとか、がんばってるみたいやな、とかそういう月並みな事を言う気になれなかった。
なんとなく、それは必要な言葉ではないような気がしたし、彼に関してだけは場違いのような気もした。だから

「随分、遠くに来たもんやなあ」
とだけ言った。

三島は、ふと真顔に戻って、私をじっと見た。ほんの数秒、その目が見開いたが、すぐにまたあの眠そうな目に戻った。

「ええぞ。こっちは。お日さんの強さが違う」

三島は窓の外に目をやった。水田の向こうには青々した山があり、晴天の空の中を、龍のような偉大な雲が静かに流れていた。

私達は、高校の話をした。そうやったなあ、と三島が笑う。それは久しぶりだが、見慣れた光景にも思えて、私はやはり安心するのだった。

日が暮れかけてきて、私も帰る時間になった。

「ほなな」
「ああ。そうや、どうせやったら、そこのバス停から鍾乳洞見に行ったええわ」
と三島は言って、コップを片付け始めた。そして立ったまま思いついたように言った。

「お前はまだ、プログラマーやっとんのか」
「まあな」
「おもろいか?」
「最近はそうでもないな。イライラすることのほうが多いわ」

振り返った三島の顔は美術の時間にスケッチブックを渡した時に向けられた表情と同じだった。

「前から言おう思うてたんやけどな」
「おう」
「お前は、アホになりきれん。だから不幸なんや」
「なんやそれ」
「わしを見てみい。アホそのものや。こないな体になっても、こんな所に飛ばされても、わしはなんとも思っとらん。世の中アホが勝つんや」

珍しく三島は私に同意を求めていた。そして私も、それに楯突くほど若くもなかった。

「せやな」と私は言った。そして、三島の目を見て言った。「お互い遠くに来たもんやで」


夜中に市内に戻った私は、大阪に向かう高速バスに乗り込んだ。
着席し、鍾乳洞で入場券と一緒に貰ったパンフレットを漫然と眺めた。

鍾乳洞の灯りはもう消されただろうか。
暗闇に閉ざされた鍾乳洞と、その中で身を潜める小魚に思いをはせた。

自然と、三島の人生を連想した。

退屈であったか、そうでなかったか。苦悩する暇があったか、そうでなかったか。

それが人生の価値を決めるわけではない。ましてや誰かが人生に価値をつけるわけでもない。自分で価値を決めているとしたらそれこそ、アホ以下のすることだ。


バスはやがて山に入った。進行方向の窓からくっきりと満月が見えて、その光が車内に差し込んでくるほどだった。

道路の継ぎ目をバスのタイヤが踏みつけて、規則正しいリズムを刻む。

いつか私は座席でまどろみはじめている。

遠くへ。もっと遠くへ。

このバスは、私達と、あの哀れな小魚を乗せて、月に向かっている。


100th Window

100th Window