megamouthの葬列

長い旅路の終わり

夜はバンコックへ

そのタイ人の女とモニター越しに出会ったきっかけはSkypeMe!だった。

SkypeMe!というのは初期のSkypeについていた機能で、自分のステータスを離席中とかオンラインからニッコリマークのSkypeMe!に変えると、「今なら誰でも話しかけてOK!」という意味になって、コンタクトリスト関係なく、全世界のユーザーから検索可能になるというものだ。
コンタクトリストに話し相手が居なくても、SkypeMe!のユーザーなら、こちらから検索して話しかけることもできるし、逆に自分がSkypeMe!になって、全然知らない人から突然ビデオ通話コールされるのを待つこともできる、というちょっと今では考えられないなんともインスタントな出会い機能だ。

当時20代だった俺は仕事が終わるとSkypeMe!を使って人種国籍問わず、色んな人に話しかけたり話しかけられたりしていた。アイルランド人の女の子に繋がった時は開口一番"Fxxk off"と言われたし、アルジェリアからのビデオ通話をとってみたら、あちらは親族勢揃いで、俺が写るやいなや騒然となって近所からどんどん人が集まったりしたけど、コンタクトリストを交換することもけっこうあって、不倫関係に悩む女教師の話相手をしたり、英会話好きのおばさんにひどく好かれたり、オカルトを耽溺するメンヘラ少女に懐かれたりして、なかなかおもしろかった。ちなみにオカルト少女にはその後一方的にブロックされたのだけど、その原因というのが、「夢の中で」一緒にお風呂に入って口にするのもはばかられるような淫靡なことをされたというのが理由で、人から絶交される理由として、これ以上にクールな理由があるだろうか、と今でも思っている。

さて、そんな中にタイ人の女がいた。どちらから話しかけたのかは覚えていない。ビデオ通話がはじまって、殺風景なネットカフェらしいブースにいる若い黒髪の女がモニターに表示された。物憂げのような、不機嫌なような、穏やかなような、喜び以外の全ての感情が入り交じった複雑な表情をしていた。
俺は日本人で、向こうはタイ人だから、共通言語としては英語なのだが、音声通話はお互い訛りがひどすぎて会話にならなかったので、自然と顔を見ながらチャットするようになった。

「こんにちは。調子はどう?」と、俺はチャットする。彼女の長い黒髪の下で、大きな瞳がほんの少しうごいて、しなやかな指がキーボードを叩くのが見えた。

「私は死にたい気分」という英文がチャット欄に現れる。呆気にとられていると、メッセージが続いた。「雨が降っている」

雨が降っているから死にたい?死ぬべき理由としてのシンプルさに俺は感心したが、そういう問題ではないようなので、俺は数少ない英語の語彙を駆使して彼女を慰めるしかなかった。there..there... there's a good girl.
PCを見上げると、彼女は少し満足したようにも見えた。そして、始まった時と同様に唐突に通話を切断した。

めんどくせ、と20代の俺は思ったし、実際厄介だったが、雨季のバンコックにネカフェに一人でいる女性を励ます、というのも、話相手を探している合間の暇つぶしとしてはおもしろい体験だった。そんなことを考えていると、コンタクト申請が送られてきて、彼女がladawan(ラダワン)という名前だと俺は知った。

その後も何度か彼女とは話した。X-JAPANが好きだ、とかそんな他愛のない話だった。
自分も音楽をやってるんだ、プロにはなれなかったけど。
「いいね」と彼女は言った。「今からでも遅くはないよ」とも言ってくれたが、実際のところ、最後にシンセを触ったのはもう1年以上前のことで、機材が未練がましく残っているだけだったから、曖昧に笑うことしかできなかった。

会話が止まってしばらくすると、彼女からのメッセージがあった。「死にたい気分」

「まだ雨は降っている?」俺は尋ねた「うん、雨が降っている」彼女が答える。Webカメラに写っていないバンコックの雨を眺める彼女の横顔を俺は黙って見ていた。ふいに視線が戻って、彼女がこちらに控えめに手を振った。通話が切れる。だいたい、いつもこんな様子だった。


やがて雨季も終わり、冬になろうとしていたある日、「ところで、どうして俺と話そうと思ったの?」と俺は彼女に尋ねた。

「正直だから(you are honest.)」と彼女は答えた。

「でも、もう終わりかもね。これからあまりSkypeできなくなるから」と彼女は続けた。

それから彼女のコールはなかった。ladawanという名前はグレーアウトされたコンタクトリストの一つになったのだった。

*

2008年の暮れ、年度末に向けて仕事は熾烈さを増していった。俺の抱えるプロジェクトも技術的な課題が解決しないまま、年が明けてしまった。連日、催促のメールに心臓を飛び上がらせて、終電まで仕事をして、俺の日常は進んでいった。
人生が、帰りの電車の中から見える、街路灯が照らすただひたすらに伸びた道路のように思えた。どこまでも真っ直ぐに続いているが、そこには誰もいないし、実際にはどこにも繋がっていないのだった。

ある日の朝、俺は突然会社に行けなくなった。ヒゲを剃り、着替え、コートを着ても足がどうやっても動かなくて、ドアの外に行けないのだ。「これがうつ病ってやつか」と俺はなんとなく思った。まさかここまで自覚的だとは思わなかったので、少しおかしかった。

なんとか会社に電話して、その日は休みにしてもらった。そして腹一杯にピザを詰め込むと、泥のように眠って、眠って、起きた時には夜になっていた。

PCの電源をいれる。ブラウン管ディスプレイがブウンという音をたてて、煙草の煙を照らした。窓を開ける、深夜の自動車の音が入ってきて、ずっと遠くから雨の匂いがした。

俺はラダワンを思い出した。
日本を覆っている夜の帳が、やがてバンコックに達して、振り続ける雨を、夜の闇が覆い隠す。音と気配だけが、静寂に紛れて建物の中に入ってきて、やがて彼女の心の中に染み出していく。

だから私は死にたいの―――と彼女は言った。空が白みはじめる前の、点滅する信号の、色濃い雨の香りの、人工的な残響の、途方もない寂しさの雨の向こう。そこにラダワンはいて、死にたがっている。ディスプレイにはマヌケ面の日本人。

夜と雨は変わらずそこにある。

そこまで想像すると、この苦しみがどれだけ長く続いたとしても、なぜだか不思議に救われたような気持ちになるのだった。