megamouthの葬列

長い旅路の終わり

灯光

大阪には環状線という全長20kmほどの路線があって、昔、その線路沿いを友達と3人で徒歩で一周したことがある。
どういう理由だったかは覚えていない。多分3人が3人とも暇を持て余していて、いつもの遊びを繰り返すのにも飽きてしまったぐらいの理由だったと思う。

朝8時ぐらいに最寄りの駅から始めて、時計回りに回って元の駅に戻った時には夜になっていた。一見するとスタンド・バイ・ミーみたいなエピソードではあるのだが、死体を見つけたとか、不良に絡まれたみたいな、ドラマチックなことは何も起きなくて、ようするに長い散歩だったので、ずいぶんくたびれたとか、当時はまだかなり治安の悪かった新今宮駅を通過する時は緊張したとか、その程度の話ではあった。ただ、随分昔なのに、道中のいちいちをよく覚えていて、例えば夕暮れの暗くなった大阪城公園の中を歩いている記憶は今でもありありと思い出すことができる。

私は、そういう共に無為を過ごした人のことを愛しているし、覚えている、覚えているのだけど、その二人が今どこで何をしているのか、実は知らない。
一人は近くのスーパーで派遣をやっていて、見かける度に声をかけてはいたし、もう一人も就職してしばらくは遊んだりしていたのだけど、こっちも大学を辞めたり、病気のことがあったりして、すっかり関係が途絶えてしまったのだ。

*

中学生の同級生でKと久々に再会したのは私が大学を辞めた頃で、新しく開店したコンビニに行ってみると、そこで店長をやったいたのがKだった。
私たちは再会に喜んで、色々と近況を話し合った。Kは先の私と最も仲が良かった二人の消息を当然に尋ねたが、私が何も知らないと言うと、ひどく寂しそうな顔をした。だが、すぐに笑顔に戻って「でも、まあ、そんなもんだよな」と締めくくった。
コンビニに行くと大抵Kが忙しそうに働いているので、その度に声をかけた。Kからは主に中学の同級生の消息を聞いた。誰と誰が結婚した、とか、誰は東京に行ったきり帰って来ないとか、そんな類いの噂話で、総合すると、地元に残っているのは大学を辞めてフラフラしている私を除けば数人ということだった。

Kが私のことをどう思っていたかはよくわからない。中学の時はそれほど仲が良いほうではなかったし、私もこういう性格で、ことさらに同窓生でつるむということをしなかったから、Kもそれほど私との距離を詰めてこようとはしなかった。
ただ、私の父が亡くなってしばらくした後コンビニに行くと、どこから聞いたのかKは何も言わずに私の肩を抱いてポンポンと叩いた。そうしてくれる人は誰もいなかったから嬉しかった。とにかく好ましい男だった。

そういえば、Kと中学の同級生数人と一緒に飲んだことが一度だけあった。皆それぞれに仕事を持っていて、ブラブラとプログラマの仕事をしている私は肩身が狭かった。「ネットっていうのでさ、なんかおもしろいことやれないの?」とその中の一人が言った。「サービス作るとか色々あるだろうけど…そんな暇ないだろ」と私が返すと「なんかさ、みんなでおもしろいことをやりたいんだよ」と彼は言ってそのまま酔い潰れた。

そうしたことがあって、しばらくしたある日、久しぶりにコンビニに寄ると、棚にほとんど商品がなかった。Kを見つけて話かけると、慢性的な腰痛でこれ以上、店長を続けられないし、かといって人を雇う余裕もないから、契約更新のタイミングで閉店することにした、という。私がコンビニ経営の凄惨さを思って、何も言えないでいると、「今なら借金も残らないしな。俺も40だから次の仕事をするにはギリギリの歳なんだよ」とKは笑った。

Kの店の跡地には酒屋が出来て、Kの姿はどこにもなかった。考えれば連絡先を交換してもいなかった。ただ、Kは店の近くに家族で住んでいたから、そのうち道でばったり会うこともあるだろうと考えていた。


見慣れない番号から電話があって、とると、かつて一緒にバンドをやっていたこともある昔の同級生だった。
「どうしたの急に?」
近況を報告しあった後に私が尋ねると、電話の向こうで彼が息を潜めて言った。
「Kっていただろ。なんか自殺したって聞いたんだけど、本当なのかな?」
私は「知らない」と言って、そのまま二の句を告げずにいた。「うーん。まあ噂で聞いただけだから、本当かどうかわからないから。気にしないでくれ」と彼は言って、電話を切った

電話を切った後、しばし呆然とした。確かめるべきだろうか?と思った。連絡先を知っている同級生の伝手をたどれば、真相には辿り着くだろう。だが、確かめてどうするのか?

私は結局、確かめなかった。どうしてかはわからない。その後、Kとばったり会う、ということもなかったから、今でもKが生きているのか死んでるのかも、私にはわからないままだ。

それで良かった、というつもりは全くない。全くないが、そのおかげで、Kは、私の中で環状線を一周した友達と同じ場所に居つづけることができた。濃霧の夜の中を静かに進む船から見える、かすかな灯光のように、その灯りが誰のものかは本当のところわからなくても、きっと彼らもまた生きて、動いていると、思うことはできるのだった。

いずれまた会えるその日まで。