暇さえあれば緑色の英字だらけの真っ黒な画面を見つめていて、正直言って、傍から見ていて異様ですし、少ない家族との会話の間も心ここにあらずといった様子です。
昨日など、私との会話を途中で打ち切ったと思うと、自室にかけこんで、夕食まで出てきませんでした。
プログラミングの勉強が進学や就職に有利といっても限度があります!
息子は本当にこのままで良いのでしょうか?ITエンジニアをしている夫は「ほっとけばよい」と話になりません。どこか相談できる病院を探したほうが良いでしょうか?
ふむ、それは困ったことだね。息子さんはなかなか筋がいいようだ。(今どき、マトリックス風のエディタテーマを選ぶなんてところが特に)
まず、お母さんに言っておきたいことは、ある時期のプログラマ、特にプログラミングを覚えて自分の思考が一定の成果と結びつきだした時期のプログラマにとって、そのような行動は決して異常ではない、ということなんだ。
お母さんはこんな夢を見たことはないかな?夢の中で、ここが夢だと気づくような夢。明晰夢と言ったりもするね。目の前の世界が自分の思考と分かちがたく続いていることを何かの拍子に自覚して、試しに目の前の草原を一杯の花畑にしてみようと目を閉じると、開いた時には真っ白なコスモスがどこまでもどこまでも広がって地平線まで続いている、そんな夢。
見たことがなくても想像してもらうだけでもいいんだけど、もしそんな世界が目の前に広がっていたらどうだろう?楽しい?ワクワクする?全部だね!目覚めるまでの間ずっと、このひとときの神様でいられる時間を楽しみたい、と思うだろう?
息子さんが自室の真っ暗なネブカトネザル号で味わっているのはそういう時間なんだ。自分の思考が、コンピューターの中のデジタルの、ごく限られてはいるけども、確実に自分が立っている地面の延長上にある「世界」と、しっかりとつながっていて、自分の思い通りになる。そういう時間。
もちろん、なんでも出来るわけじゃない。その域に達すること自体が、それ相応に難しいし、妥協せずにこだわった結果を得ようと思ったなら、もっと難しい過程を歩む必要もある。そしてもちろん、そこには苦痛も伴う。
息が詰まるような思考を続けて、5分おきに自分の頭が深刻に悪いことを突きつけられて、壁に頭を打ちつけたくなるのを我慢したりね。プログラマになることを夢見た人間のうち、結構な数が毎年諦めてしまう程度には、それは厳しい道のりなんだよ。
でもそれは、ある種の「筋のいい」人々、特にコントロールできない現実にうんざりしていたり、自分が影響を及ぼせる世界を持ったことがなかったりして(コンピューターから出る動作音をこよなく愛してるみたいな理由すらあるんだけど)ちょっとした違いを抱えた人々にとっては、それほど苦にはならなかったりもする。
彼らにとっては、そうだな、ホグワーツで難しい魔法を学んでいるようなもの、と言っていいかもしれない。厳しいけれど、いつか魔法を使って「世界」と自分が接続できる確信があるなら、こんな楽しいことはない、そんな気持ちなんだよ。
だから心配しなくて大丈夫、と言いたいところだけど、実は心配なのはその次なんだ。
多分、息子さんはそのうち世界を思い通りにすることに飽きてくる。昔は、思いついたとたんに胸を焦がして、自室にかけこんでいたようなアイデアが浮かんでも、やろうと思えばできるし、そこに至るまでの道のりも大体想像がつくけれど、前にやったことの繰り返しだし、結果もわかってるから、やらなくてもいいかな……といった風に変わってくる。さっきも言ったように、魔法を使うのもタダじゃないからね。苦痛のほうが勝ってしまう。それなりに疲れるんだよ、あれは。
息子さんが、そういった時期にさしかかった時、例えばガールフレンドに夢中になったりして、すっぱりパソコンやプログラミングのことは忘れて、「そこそこITに詳しい一般的な大学生や社会人」になれたなら心配する必要はない。けどね、大体はなれないんだよ。一度魔法を行使した子ってのはね、それを忘れることもできない。
そういった子がどうなると思う?自分が味わったあの絶対的な万能感をずっと探し続けることになる。まるでゾンビや亡者みたいに。
何千倍のスペックをもった最新のパソコンがあるのに、自分が最初にプログラミングを覚えた古いコンピューターや処理系を持ち出したり、むやみやたらに複雑なアーキテクチャを仕事でもないのに使ったりしてね。もしかしたらまた、あの感覚を味わえるかもしれない、と思っているんだよ。
でもね、ああいう魔法は二度と使えないんだ。繰り返し使ってすり減った消しゴムをどんなに磨いたって元の形に戻ることがないように、そこには、使い古したクリシェと、ちょっとした知見(有益なものもあるけど、1年後には二度と顧みられることのないようなもの)しか残っていない。
だから、そんな時にお母さんがすべきことは、息子さんに、コンピューターやスマートフォンの外に広がる「本当の世界」を、息子さんがとっくに見放した、醜悪で冷たい世界に、息子さんを引き戻すことなんだ。昔とは違う、君にはプログラミングという滅法強い武器がある。これを持ってもう一度日常に戻ってみないか?と誘ってあげることなんだよ。
ずいぶん月並みな結論で面食らってるね?じゃあこういうのはどうだろう?
僕が常々言っている言葉があって、そのプログラマーと一緒に仕事ができるかどうか、信頼できるプログラマーなのかどうかを見分ける唯一の方法は、そのプログラマーがどんなコードを書いてきたか、ではなくて、誰の為にコードを書いてきたかを知ることだ、っていうのがそれなんだけど、結局、僕が言いたいことは、自分のためにコードを書くことは、プログラミングという魔法のおよぶ世界を「自分」というせせこましい場所に封じることに他ならない、ということで、もしプログラミングというものを「飽きた」と感じたら、それはプログラミングではなくて、「自分」に飽きたのかもしれない、ってこと。
案外、人間なんて底が浅いもんでね。自分の考えたり必要としているものなんてだいたい5年から10年もあれば全部やったつもりになって、尽きてしまうものなんだよ。だから、もしそこに留まっているプログラマだったなら、AtCoderのランクが何色であっても、正直僕は一緒に仕事したいとは思わない。きっと彼は、僕の知らない難解で認知負荷だけは高いよくわからないフレームワークを持ち出すだろうからね!
誰かのためにコードを書くというのは、お金をもらうためにコードを書いてもいいし、単に困っている人のためにコードを書いてもいい。とにかく自分が想像もつかないような場所を書き換える目的で、魔法を使ってほしいんだよ。
あれ?もう時間なの?まあいいか、家族仲良くね?お父さんにもよろしく。それじゃ―――