megamouthの葬列

長い旅路の終わり

ガラス板の向こうから挨拶を

放送大学に入るための卒業証明書を取りに約30年ぶりに母校の高校に向かった。無職らしく平日の午後のことだった。
公園や寺院、閑静な住宅の間をしばらく歩いて校門をくぐり、事務室にお伺いをたてると、事前に電話していたこともあって、事務員は訳知った顔で手続きを進めてくれた。
ちょうどテスト休みらしく、校舎は粛然としている。 卒業証明書の発行を待つ間、ベンチに座って何もする気も起きずにただ待っていると、何かの用事で登校してきたジャージ姿の女子生徒がやってきた。彼女は私を見るとにこやかに挨拶をしてくれた。
OBと思ってもらえたのかはわからなかったが、少なくとも習慣的に成されていることがわかるような挨拶だった。 私は気圧されて、挨拶も返さずに僅かに黙礼するに留めた。寝癖を抑えるために黒いニット帽を被っているような不審な中年にはもったいなことで、教育の賜とも言えた。

彼女のような生徒がいるこの場所は、30年前も今も、私にとっては別世界だ。

私がいた下町の公立中学は教室で不良生徒が煙草を吸っていることがあるレベルの荒れた学校で、卒業証明書を取りに行った地域一番の進学校とはまるで別世界だった。

中学では、教師の言葉に力はなかった。力を持っていたのは、気に入らない人間がいれば躊躇なく殴りつける連中だった。窓ガラスは頻繁に割られ、校庭ではOBのバイクが走り回っていた。そこでは、明日どうなるかより、今この時間をどうやり過ごすか、どうすればナメられずに済むかだけが重要だった。

対して高校では、生徒たちは皆、教室の外にある「未来」を見ていた。良い大学、良い会社、安定した生活。そのために今、勉強するという共通の目的があった。教師は未来への案内人として機能し、その言葉には権威があった。

中学の世界の掟が「力を示すこと」だったとすれば、高校の世界の掟は「賢さを示すこと」だった。そして、より恐ろしいのは、高校の生徒たちの多くが、中学のような世界が同じ国の、それも電車で数駅の場所に存在することを、おそらく想像すらしたことがないだろうということだ。彼らにとって世界とは、この静かで秩序だった場所のことなのだから。

この違いをどう考えたらいいのだろうか、と未だに私は考えている。

それがおぼろげながらも最初に言葉になったのは、授業の一環で行われた学級新聞でのことだった。その紙面で、私は「いじめ」の問題を取り上げた。そして、今思えばずいぶんと生意気なのだが、こう結論づけたのだ。「いじめが起きている世界と、教師や親のいる世界とは、確実に分離している」と。

その新聞を読んだ担任教師は私を呼び出し、どういう意味かと尋ねた。私は答えに窮した。言いたいことは喉まで出かかっているのに、上手く言葉にできなかったのだ。

今なら、あの時言えなかったことを言語化できる。
なぜ、いじめられている子供は大人に助けを求めないのか。それは、子供の世界には、大人が振りかざす「善悪」の物差しとは全く異なる、独自の倫理が働いているからだ。そこでは、共同体からはみ出す異質な存在を排除し、気晴らしに使い、序列を確認するための暴力が、一種の「必要悪」として機能している。
そして、その世界の住人である子供たちは、それが大人の世界では「悪」であると自覚しているからこそ、その事実をひた隠しにする。大人の倫理を自分たちの世界に持ち込むことは、その共同体に対する裏切りであり、最大のタブーなのだ。

私が書いた「分離」とは、この倫理体系のどうしようもない断絶のことだった。教師が信じ、教えようとする「正しい世界」と、私たちが生き延びるために適応していた「現実の世界」。その二つは決して交わらない。この断絶こそが、あの暴力的な中学と、この静謐な高校とを隔てる、見えない壁の正体の一部なのだろう、と今は思う。


私自身は、といえば高校以来10年ほどは、その静謐な世界に浸っていた。突然廊下で殴りつけられない生活とは実にいいものだ、と考えることができていた。しかし、うつ病やそうしたなんやかんやで、足下にある薄いガラス板はいつのまにか割れて、転落して、元の場所に、あの野蛮な公立中学生の末路として相応しい身分に戻ってきているのだった。

ただ、この「ガラスの上の世界」からの転落は、大いに歪んでいるにしろ、私の視点を広げてくれたように思う。

ガラスの上にあるのは、バブル以降もそこそこの成功者を生み出し続ける日本。そこではまだ未来を信じ、自己投資をするだけの価値がこの国にはあると思われている。彼らはガラスの下を見ようとしない。あるいは、見たとしても、それは遠い国で道路が陥没したニュースのように、あくまで自分たちとは「関係のない」風景か、怠惰な敗者の吹きだまりにしか見えないのだろう。

一方、ガラスの下にあるのは、その発展の裏側で人的資源のほとんどを奪われ、静かに没落していく日本だ。そこでは未来は信じるに値せず、人々はバブル前後の、まだ社会全体に希望があった時代の栄華をぼんやりと懐かしむ。精神疾患、経済的困窮、あるいは単なる不運。一度こちら側に落ちてしまえば、ガラスの上に戻るための梯子はほとんど存在しない。なぜなら、ガラスの上の人々にとって、こちら側の人間は存在しないも同然だからだ。

だから、この文章はガラスの上で踊る人々に向けて書いてはいない。彼らの世界と私の世界は、あの頃の中学の教室と職員室のように、決して交わらない。彼らが私の言葉を理解できないように、私もまた、彼らの成功や未来への楽観を、本当の意味で理解することはできないのだろう。お互いに「関係がない」からだ。


卒業証明書の印刷が終わったらしく、職員が私の名を呼んだ。私は手数料を払って封筒を受け取った。これで哲学の勉強ができるのだ。

ガラスの下には、未来への希望はないかもしれない。だが、嘘をつかなくてもいい自由はある。私はただ、この割れたガラスの破片が散らばる場所から、同じような人たちや、その存在を想像できるわずかな人たちに向けて、ありのままの風景を書き記すことにしようと思う。