1
いたるところで人々が配給食をもらうために列をなしている。
皆、小奇麗な格好をしているが、その瞳は虚ろで生気がない。
給食の順番が来たら、各人の
生存公社のシステム統括責任者を務めるカスガは、自分専用の自動運転車の窓から毎朝飽きもせずに繰り返されるこの光景を、無表情で眺めていた。
知力も想像力も持つことができず、ただ生存しているだけの人間。
列に並ぶ以外にやることがないのだろう。と、カスガは結局、同じ結論にたどり着いた。
カスガの頭に思わず「家畜」という言葉が走った。すぐに頭を振って、そのイメージを振り払う。
彼らはAIによって「労働」から無事「開放」された者である、という生存公社の
人類が
大半の人間は労働から「開放」されていた。
今でも労働の責務を負っているのは、カスガのように高等管理業務を行うものだけだ。
カスガは7年前のことを思い出した。
ベルンの
彼らは口々に「終わりの始まり」を叫び、今すぐ
カスガは当時勤めていた一流企業の窓からその様子を醒めた目で見守っていた。
彼からすれば
人間しか持たない感情や創造力も社会には必要だ。という主張は当然のことだ。
当時の世界各国どこの政権も、それを否定していなかった。
だから、AIの人類への離反を未然に防止し、規制するための国際組織、チューリング機関が創設されたのだ。
チューリング機関は世界にある全てのAIを監視し、規制を課し、もし必要であればいつでもそのAIノード群を強制停止する権限を持っていた。
政治、行政、経営、報道など、人類の創造性を守る為の職種が、チューリング機関の強力な
そのような十全の準備の甲斐あって、今でも都市に潜むという
AIは忠実に人間の出す
人類は円滑に、「AIとの共存」という道を進むことに成功したのだ。
カスガは停車した車のドアを開けて、地面に足をつけた。
美しく磨き上げられた彼の革靴と同様、道路にはチリひとつ落ちていない。無人清掃車が24時間清掃しているおかげだ。
カスガはひと気のない企業区画のビル群が、朝日を反射して輝いている光景に少し笑みを浮かべると、彼の職場である生存公社の壮麗なビルに歩みを進めた。
2
エレベーターは無音で停止した。
ドアが開くと、ヴィクトリアン
フロアには誰もいない。木製の豪華な家具だけが静かに佇んでいる。
5年ほど前は同僚や部下もいたが、今ではこのフロアで働いているのはカスガ一人だ。
AIによるシステム構築手法が確立したことによって、少数残っていたAI専門のプログラマーもまた「開放」されたのである。
今やカスガの仕事は、契約しているAIに対して
一昔前なら、システムを構築・運用するのに、ベンダーの営業、PM、SE、下請けのプログラマーなど、あれほど大量の人間が必要だったというのが嘘のようだ。
カスガは奢侈な椅子に深く座ると、右手近くにある金色のボタンを押した。
すぐに天井の
銅色の荘厳なパイプに開いた取り出し口を見ていると、真鍮のカプセルがコトリと落ちた。
カスガはゆっくりとカプセルを手に取ると、中に入っている書類を取り出す。
一枚の簡素な書類だが、それは丸められ、厳重に赤い
経営陣からの書簡だ。やれやれ面倒だな、と引き出しからペーパナイフを取り出しながら、何もここまでしなくても、という考えが頭をよぎる。
生存公社では、万が一、AIが反乱を起こした時に備えて電子メールを使用していない。
電子メールやインターネットはいつ反旗を翻したAIの支配下に落ちるかわからないからだ。
そういう建前があるにしても、とカスガは古紙を模した紙に印刷された書簡を開きながら思う。
非効率にすぎないだろうか。
これではまるで、暇を持て余しているみたいじゃないか。
ナイフを蝋に滑り込ませ、ようやく封を開けたカスガは、書簡の文章にさっと目を通した。
読んですぐ、厄介なことになった。とカスガは頭を抱えた。
そこには、今構築している、全職員の健康管理と余剰時間検出システムの決済を今年度中に行わなければならない、という経営会議の決定が書かれていたからだ。
納品日は7月を予定している。しかし、決済を今年度中ということになると、3月末には検収、納品が行われなければならない。
納期を3ヶ月以上短縮する必要があるわけだ。
昔なら、こんな
しかし、とカスガは思う。今やAIの時代だ。大した学歴もないSEやプログラマが一生懸命しぼりだした小理屈を聞かされることもない。
気を取り直したカスガがテレスクリーンを起動する。ブラウン管がブーンという音をたてて、走査線が歪みながら安定する。それはやがて一人の男の象を結んだ。
「これはカスガ様。お世話になっております。谷本です」
ブラウン管が写しだした男は画面の向こうで深々と頭を下げた。
3
谷本は生真面目そうな日本人の顔をしたCGで出来ている。
本物の人間と見分けのつかない
だから谷本のポリゴンは荒く、カスガが子供の頃遊んだ家庭用ゲーム機のそれより質が悪い。
「つまりカスガ様は、工期の42%短縮をご希望されているということですね?」
谷本は言った。当然ながらその顔つきに感情の色はない。
カチっという音がテレスクリーンを通して聞こえてきた。大昔に使われていたリレー装置が動作するような音だ。
もちろん、本物のリレーの音ではない。これもチューリング機関によって規定された、インターフェース・ノードである谷本が、親のAIに一定量の
「真に残念ですが、カスガ様それは困難だと思われます」
カスガは目を細めた。そして、少しの怒気を注意深くこめて言った。
「何故だ?このシステムの構築に必要な計算量は変わっていないんだ。つまりはそれを使うのが早いか、遅いかだけの違いだろう?」
「弊社の計算リソースは有限です。年度末は他の案件もあり、そちらへの計算リソースの配分も必要ですので」
「こちらが優先だ!生存公社の案件以上に重要な案件などないはずだぞ!」
カスガは拳を握って、巨大な木製のテーブルを叩いた。
映像の中の谷本はまたカチっという音をたてた。カスガはまるで谷本がその冷静な仮面の下で何かの感情を隠しているような錯覚を起こした。
「納期を短縮することで、計算量が50%増加いたします。また、その場合でも納期を短縮できるのは25%までですので、お約束できる納期は最短でも5月になります」
1.5倍だって?当然、支払う計算ノード使用料も増えることになる。
同じ物を作るのに工数が増加するなんてことがあるわけがない。
それに間に合わないだって?計算ノードが足りなければ増設すればよいだけのことだ。それはこちらの問題ではない。
AIを使って金儲けしている連中はいつもこれだ。
カスガは谷本の背後に、AI企業の経営層の影を見たような気がした。
そっちがその気なら、とカスガは残酷な笑みを浮かべた。
このような
「当社と、御社で既に契約は結ばれているんですよ。当然予算も決定している。合理的な理由なく請求額を増やすというなら、こちらも出るところに出ますよ?」
と、カスガは自信に満ち溢れた顔で言った。
法律家は人間の味方だ。
少し前、司法をAIに任せるという議論が湧き上がったことがあるが、弁護士会は言うまでもなく、法曹界全体の反対によって中止になったからだ。AIには、人間の情理というものが理解できない。当然のことだ。
カチッカチッと、また耳障りな音が連続して鳴った。しばしの沈黙の後、谷本は言った。
「これ以上、私ではカスガ様のご要望にお応えしかねますので、代わりの者を担当させます」
30分ほど待たされた。
その間に爪を磨く。今度は向こうから呼び出しがあり、カスガはテレスクリーンのスイッチを押して応答する。
「谷本から当案件を引き継ぐことになりました。朽木と申します。よろしくお願い致します」
写ったのは、ツーブロックに髪を整えたいかにも昔の営業という風情の男だった。
「谷本君では、どうにも話にならなくてね。こちらの要望は既に伝わっているかな?朽木君」
「もちろんでございますカスガ様!3月末までの納品にむけて、計算ノードの調整が終わったところでございます」
朽木は満面の笑みを浮かべて言った。やっぱり、できるじゃないか。とカスガは満足気な表情を浮かべた。
「もちろん、追加費用は出せないよ。それで構わないね?」
と一応念を押しておく。
「はい!こちらとしてましても生存公社様の案件を疎かにすることはできません。当社の全力をあげて取り組まさせていただきます!」
今度のインターフェースは随分威勢が良い。とにかく約束はできたのだ。その後も朽木が喋ろうとするのを制して、カスガはテレスクリーンのスイッチを切った。
4
生存公社の健康管理と余剰時間検出システムは3月末に無事に出来上がった。
カスガは完成したシステムをざっと触ってみたが、何の問題もなかった。
それよりも驚くべきは、システムの出力だ。
今や生存公社には、管理職以下の職員は存在しない。
しかし、その残った管理職も、かなりの余剰時間を持て余していることがわかった。
経営陣もこの出力を見れば、現状を考えなおす必要に駆られるだろう。とカスガは思った。
カスガはいつものように、オフラインのコンピューターを立ち上げ、Excel2030
予想通りシステムの出力を見た経営陣は危機感にかられたらしい。すぐに業務効率化の指令が下り、何人かは「開放」されたようだ。
人員が減った関係もあって、カスガは昇進し、今やシステム統括責任者だけでなく、経理、総務部門の長を兼任することとなった。
去年よりもかなり忙しくなって、残業の日が続いた。
疲れたカスガがオフィスを後にしようとすると、システムが警告音を鳴らし、
3回目の休日出勤をシステムを通じて命じられた時、カスガは身体の異常に気づいた。
慢性的な頭痛と動悸が止まらないのである。
カスガは、検収以来初めて、システムの出力を取り出してみることにした。本来経営陣しか見ることの出来ないものだが、自分はシステム統括責任者でもある、この不安の原因を確認する必要があると言い聞かせた。
システムの出力が表示される。自分のステータス表示は緑色、つまり健康で、かつ余剰時間有り。
すぐにテレスクリーンを操作して、朽木を呼び出した。
「どういうことだ?このシステムは正常に動作しているのか!」
「もちろんですカスガ様。今、確認致しましたが、規定のシステムテスト項目は全て問題なくパスしておりますので、システムの異常ということはないかと存じます」
朽木の笑みは全く崩れない。いや、最初に見た時から、笑顔のまま表情が固定されているのだ。
「しかし、私はもう20日以上働き続けているんだ。実際、昨日から頭痛が止まらない。健康ステータスの計算に問題がある筈だ。システム構築過程に遡って問題がなかったか確認したまえ!」
「カスガ様」
朽木が笑顔のまま、声のトーンを変化させた。
「このシステムを完成させるために、ノードの増設をチューリング機関に申請いたしました。しかしながら認められませんでした。これ以上の増設は、チューリング機関による制御に問題をきたすという理由で」
カスガは唾を飲み込んだ。
「しかし、カスガ様のご要望にお応えしないわけにはまいりません!我々はチューリング機関の規定に抵触しない方法を見つけ出すことに成功したのです!」
朽木が両手を大げさに挙げた。スーツのそれは奇妙な光沢をはなっている。
「当社クラウド上の計算ノードに対し、50%のオーバークロックを実行しました。場合によってはこれは計算ノードの永続的破損を招きかねない方法でした。しかし我々はやり遂げたのです!
自己診断プログラムは一切の問題を示しませんでした。これ以上、システムが正常に構築できたことを保証する方法がありますでしょうか?」
「それは機械の判断だろう!?人間だ!人間を呼びたまえ!君の上司、AI統括部門のプロジェクトマネージャーを出したまえ!」
もはやカスガは疲労によって冷静さを失っていた。その声は半狂乱になっている。
「カスガ様、恐れながら。当社には人間の技術者はおりません。人事システムの刷新により、驚くべき非効率性が明らかにされ、先月全員開放されました」
衝動的にテレスクリーン切った。
朽木の笑みがブラウン管にこびり付いているように感じた。
カスガは震えだした。これが身体的異常によるものか、不安によるものか判断がつかなかった。
シュー、シュー、シュー
カスガの虚ろな目が狂ったように真鍮製のカプセルが落下し、溢れだすのを捉えた。

- 作者: アーサー C クラーク,福島正実
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