megamouthの葬列

長い旅路の終わり

限りなく透明に近いおぢ

最近死に支度をしている。具体的にいつ、というのがあるわけではないが、もう46歳だし、飼っていた猫は死ぬし、やることもないし、死に支度は早いに越したことはないという話だから。

死についての遠藤周作の本に、「老年に達すればあとは邪魔をしないように生きれば良い」というのがあって、確かにな、と思った。例えばWebエンジニアたちが技術記事を書かなくなって、今やネットにはAIエージェントの効果的な使い方しかない。もうあの言語が良い、フレームワークが良い、あれは時代遅れ、これは革新的、という話もなくなって、今や素PHPで新規プロジェクトを立ち上げても、このほうがAIの通りが良いんですよ、と言えば、誰も文句を言わないじゃないかとすら思う。みんな誰かの邪魔をしない生き方をするようになった。その点では良かったと、わりと本気で思っている。

とにかく死にまつわることばかり考えているので、Webプログラマの死についても考えている。僕たちは老境に差し掛かったプログラマというモデルケースに出会ったことがなくて、単に年老いたプログラマCOBOLかCの流儀でWebプログラミングに挑んで、わけのわからないPHPコンパイルオプションをいじくり出すのしか見ていないから、なんというか、あまり参考になるものがないんだけど、とりあえずどんどん透明になっていけばいい、というのはわかる。

道に転がってる石とか、そういうものを黙って拾ったり、困ってる人がいたら手を取って、自力で歩けるようになったら手を離す。誰にも気づかれないように、ただひたすら川の流れを遮らないように生きればいいのだと思っている。具体的に業務に当てはめて考えれば、仕様書を覚えて、認識の間違いをそれとなく指摘したり、心配性のPMに寄り添ったり、彼が上司に出す対策案の叩きを作ったり、といったところで、これはこれで心地良い生き方なのだ、ということが最近わかってきた気がする。

問題はそういう生き方をしても誰もお金をくれないということだ。何しろ透明だから、そこに金を払うという習慣が日本人にないのだ。思えば僕は昔からこれぐらいの役割で、とびきり難しい問題だったり、行き詰まっている問題に解答を出してきたつもりで、例えば、前のブログで「パフォーマンスの悪化したアプリのMySQL slow queryログを出して、インデックスを作ったりプロシージャを作り替えて速くするみたいな業務をやってるけど、ゴミ拾いしかさせて貰えてない」みたいなことを書いたときに、そんなわけねーだろ、みたいなツッコミをした人がいたけど、本当にゴミ拾いしかさせて貰えてねえんだよね。あの後ミーティングがあって、MySQL何もわからないマンに一から説明して、その分のギャラも一円も貰ってないわけだから。今後ともよろしくお願いします、って満面の笑みを浮かべて、それっきり話も来ない。
金を貰えるのは出来る出来ない関係なく伴走してる若者だけで、まあ彼らには金を貰う権利があって、金が有限なんだったら、僕らの取り分がなくても仕方ない話。

いかんね、俗っぽいところが出ちゃったね。こういう金を貰えなかった、認めてくれなかった恨みみたいなものだけはまだマグマみたいに貯まってる。恐ろしいことだと思う。きっとこれからの年月こういうのを全部許して、忘れて、ということに時間を使わないといけないんだろうと思う。何しろ悪いのは僕で、世界はあるがままにあるだけなんだから。