来ないな、と思った。 班長が、である。
町内会費を集めに班長が来ない。
例年ならドアポケットに「町内会費」と書かれた封筒がいつのまにか入っているから、それに1200円を入れて、封筒に書かれた班長の号室のドアポケットに封筒ごと投函する、ということで町内会費の支払いが終わっていた。誰とも顔を合わせないまま1200円の支払いが行われて、それで私の義務も果たされていた。
今年はそうしなかった。なぜならいつのまにか町内会費が4000円に値上がりしていたからである。
私は班長が来たら言うべきことを確認した。まず、値上げの理由を聞く。防災用品か、防犯カメラの電気代か、余剰金は尽きてしまったのか、あるいはいつ尽きる予定なのか。それだけだ。シンプルだ。それは無茶な要求でもない。それだけ説明してくれれば、私は喜んで4000円を封筒に入れて支払う。何もそこまで金に困っているわけではないのだ。
あるいは、と私は少し気を重くする。それらは全て回覧板に書いてあったかもしれない。
読んでいなかった。しかし、あれは読むものではない。小学校の運動会。振り込め詐欺の注意、シニアのためのカフェ企画のお知らせ。読むものが何もない。読まないのは合理的な判断だ。 合理的な判断の結果として、私は情報を取りこぼしたのかもしれない。
それを責められるかもしれないと思った。
ただ、考えてみれば、私はずっとそうやって生きてきた。税金を払う。選挙で投票する。労働組合費を払う。町内会費を払う。それが市民としての仕事で、それ以上を求められる筋合いはないと思っていた。日曜日にデモに行く必要はないし、会社の前で声を張り上げる必要もないし、回覧板を熟読する必要もなかったのだ。義務を果たした人間には、関心を持たない自由があるはずだった。
しかし町内会費は4000円に上がってしまった。
例えば私が町内会の役員で、年に何度か、親睦とか年末防犯夜警とかそんな触れ込みの会合に小まめにでていれば、こんな思いをしなくてすんだわけである。こういう理由で来年からは町内会費が3倍超になる。みんな納得している。そうですか、まあこんな時代ですしね。と相槌を打って話が終わりだったのだ。
なぜしなかったといえば、面倒だったからだ。いや、面倒だった、というのは答えになっていない。なぜ面倒なのかという質問を繰り返すだけだ。家族もいないのに、町内会の活動に参加するのに抵抗があった?、いや、それも上品すぎる言い訳だろう。単純にそういう活動がキショくて嫌だったのだ。キショい付き合い、キショい酒宴、キショい義務感、そういったものから自由でいたかったのだ。
労働組合費を、給料から天引きされて毎月払っていた頃だって、誰が組合長なのかすら知らなかったし、尋ねもしなかった。どういう団体交渉が行われて、これだけの残業が合法になっているのか、組合長がどのように決められているのか、そう言ったことを口にすることは一切なかった。なぜならキショいからだ。労働者の権利を守り、真っ当な労働環境にしよう、という話には同意できる点もあったが、おそらくそれだけでは済まなくなる、と思っていたからだ。上司からは睨まれ、経営陣からは警戒され、ガチの労働組合員からはメーデーのデモへの参加を促される。そういったことがキショくてキショくてたまらなかったのだった。
しかし町内会費は4000円に上がってしまった。
キショさから逃れているうちに、いつのまにか1200円だったはずのものが、4000円になってしまったのだ。何も知らない、何も所属していない筈の私の財布から金が抜き取られてしまったのだ。私は、最初ムっとした。しかしその怒りが正当なものかはわからなかった。何しろ回覧板に理由が書かれていたかもしれなかった。だが、私は承服した覚えがないのだった。そもそも町内会長が誰なのかすら知らないのだ。
班長が来たら、と私は考えて、疑問をぶつけて、しかし本当に答えが返ってくるだろうか、とも思った。班長もまた、順繰りに強制される役割にすぎないのだ。彼または彼女が、町内会費を4000円にしたわけでもない。彼または彼女に怒りめいたものをぶつけるのも筋違いなのは、十分わかっているのだ。だが、実際に私は金を抜き取られようとしている。こういう事をどう処理すべきなのだろうか、と私はまだ考えている。
4月に、平和憲法のためのスタンディングみたいなものが、大阪のヨドバシカメラ前でやっていて、私はそこに行った。通りがかったとかそういうわけではなく、わざわざ行ったのだ。あまり深い考えがあったわけではない。blueskyで小野マトペ氏が東京で行われるスタンディングの様子を紹介していて、少し興味を持ったのだった。
手ぶらでヨドバシカメラの前につくと、既にたくさんの人が集まっていた。空いていたスペースに少し黙礼して入った。皆、めいめいプラカードやペンライトを持っている。
どこかでスネア・ドラムが鳴った。
「憲法守れ!」
コールが起こって、私はすこし戸惑った。スタンディングというのはただ立っていればいいのではなかったのか、これだとキショくなるのではないか、自分もキショくなってしまうではないか、と思ったのだった。
ダンダンダン
「高市やめろ!」
皆が唱和した。高市早苗は嘘つきで無能だと思うが、辞めろと叫ぶのは、私にははばかられた。だからコールがあっても私は黙ったまま立っていた。一方で、この場でそう言いたくなる気持ちはなんとなく理解できた。コールを叫ぶ人たちがキショいとは、全く思わなかったわけではないが、それほどは思わなかった。だから、私は列から逃れることもなく、そこにじっと立っていた。
ヨドバシ前の道路を帰宅を急ぐサラリーマンや買い物客が通っていった。遠目には少し興味深そうにこちらを見ながら、しかし、近づくと必ず目を逸らした。観光客らしき外国人も同じ反応だった。しかし、私は通行人を見ていた。こうして、一方的に道を行く人を睨みつけるのはなんだか、とても気持ちが良いのだった。
主催者らしい数人の若者があと10分で終了ですと告げていった。私は列から抜け出して帰路についた。そして、自分のやったこと、やらなかったことの意味を静かに考えた。
よくわからなかった。
家に帰りつくと、ドアポケットには何も入っていなかった。班長はまだ来ていない。4000円も払っていない。
コールに加わらなかった。班長に詰め寄らなかった。町内会長が誰かも調べなかった。並べてみると、どれも同じ形をしている。怒りはある。怒りはあったのだが、それを世界に向けて放つためには、何かを諦めなければならないということはよくわかった。少なくともキショくなることは覚悟しなければならないのだ。
私の今の苦しみは、汚れないまま怒っていたい、からなのかもしれない。キショくならないで、清潔なままの怒りを、世界のほうから敏感に感じ取って、丁寧に説明して、納得させてほしい、ということなのかもしれなかった。それは確かに虫のいい欲望に違いなかった。
班長はまだ来ていない。


