megamouthの葬列

長い旅路の終わり

白米にゴマ油を

たらすと、疑いなく不味くなるのだが、不思議と食欲をそそる風味にはなる。
そして、醤油をかければ、ひとまずは食えなくもない味になる。
最近、腹は空くが、食欲がないので、酒とこういう食事で生きながらえている。

とりとめのない書き出しなのは、とりとめがない事を書こうとしているからで、あなたもこういうタイトルのエントリを開いてしまったのだから、相応の覚悟はしているものとして書く。

*

ある精神疾患持ちの社員が、社長と面談して通院はどのくらいの間隔でしているのか、と問われたので、2週間に1回です。毎回薬代合わせて3,000円ほどはかかりますので、大変です。と他意なく答えたところ、その社長は「その半分は俺が払ってるんやけどな」と言い放った。

当人からどう思います?と問われて、私は言葉を失うよりなかった。
社会保険の労使折半を「社員の医療費を自分が半分払ってやっている」と考える経営者がいるということにひっくり返りそうになった。
後に労務士をしている人に尋ねると、そういう認識の経営者はそれほど珍しくはないそうだ。特に、個人事業主から法人成りした経営者に多いという。


あるしがないプラスチック製品の工場があって、そこに工業デザイナーを目指す若者が入社した。
彼は工場で作ることのできるプラスチックの玩具を提案し、そのブランディングに力を注いだ。
美しい写真を撮り、チラシを作った。ハイ・コンセプトなWebページも作った。

私は仕事の縁でその話に関わった。実際にその製品を手にとったこともあるが、彼の作った美麗なWebページやイメージボードと比べると、バリは残っているし、染料の色は下品だし、それほど良い質のものとは思えなかった。

しかし、その製品は企業規模にしては破格のヒットをした。
どこかの美術館のギャラリーショップに置かれたり、お洒落なカフェに飾られるようになった。
彼のブランディングは成功したのである。

その頃合いで、デザイナーの彼は解雇された。
風の噂ではあるが、給与を上げて欲しいと主張しての末の解雇であったらしい。
私は、憤ってその話をかねてより長い付き合いのある経営者に話した。そのプラスチック工場主の非道を糾弾する目的もあった。
彼は私の話を聞いて「気の毒な話ですね」と悲しげに頭を振った。そして、どこか諦めたような表情でこうも続けた。「でも、そんな話はゴロゴロありますよ。珍しい話じゃない」

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ネットの評判というのは口さがない。現実社会で発言されたものであれば、当然に常識を疑われるようなことでも、ネットでなら発言できるし、LikeやFavといった控えめな賛同を得ることだってできる。

その一つに、「人の命には軽重がある」という考えがある。

何とか建託の営業が何人自殺しようが、どこかの求人ベンチャーの女性が自殺して、経営者が彼女の本名をしめやかにブログに書き記し、追悼と称して彼女のフォトギャラリーを作ろうが、ネットは別として、特に公権力は関心を示すことがない。

貧困家庭の女性が、奨学金の返済を苦にした女性が、やむにやまれず、または騙されて性産業に足を踏み入れようが、それもまた一つの社会問題として、難しい顔をした社会学者が本の2,3冊を書くのが関の山である。

しかし、ひとたび、東大を出て大手代理店に入った女性がパワハラを苦にして自殺したり、最高学府の女が成人向けビデオに出れば、すぐさま公正取引委員会が、警察権力が、鬼十則を守っただけの上司や、ビデオ屋の雇われ社長の逮捕のために動き出す。

これを命の軽重と言わずして、何と言うか。と一部のネット人は憤りをあらわにする。
私はこのような考えをわかりはするけれども、正確ではない。と思っている。

命の軽重があるのではなく、話題の軽重があるのである。
彼女たちは珍しい存在だから、その死や転落が報道され、観測されているのであるし、観測されてしまった以上、公権力は何らかの働きを世に示さなければならない。ただ、それだけのメカニズムである。
もちろん、それが道徳的であるか、正しい社会の姿であるかは別の話である。

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曽野綾子の伴侶といったほうが通りが良い故・三浦朱門は「平凡な人間は実直な精神だけを持てば良い」という考えを持っていたようである。
そのような人々が不遇をかこち、また不幸な人々を再生産し続ける時代が表出するということを、どうやら考えなかったらしい。

彼の言う「実直な人々」は結婚もできず、低賃金で、この社会を回転させ続けている。
例えば私のような怠惰で、世をなめきった札付きの不良が、その身を滅ぼすならばわかる。

しかし、そうでない人が、金汚くなく、謙虚で、人並みに優しかった人々が、グローバリズムや、為替による過当競争や、シュリンクする市場などのどれかの原因で、搾取され、パワハラに適応して、心貧しくなり、些細なことに怒り、同じ立場の人間を死に追いやっている現実に、その外側で酒を嘗めている私さえ、辟易せざるを得ないのである。

これは私が望んだ世界ではない。しかし、同時に私がこの世界にしてやれることはもはや何一つない。という事に気づいて単に暗澹たる気持ちになる。

せめて文章でも、と思うが、出てくるのはこんなとりとめのない愚痴しかない。

かくして私は、食欲を無くし、また白米にゴマ油をたらすのである。


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先月の懺悔 現実逃避と文章

月末に懺悔を書き損ないまくることで有名なmegamouthです。こんにちは。

さて、今月もロクにエントリを書きませんでした。久しぶりの大きな仕事に集中していたので、主にその現実逃避に一発書きしかしてないからでした。

www.megamouth.info

はてブ界隈でプログラマは私生活で勉強すべきかどうか、という話で盛り上がってるので、乗っかったという案件でした。
元のエントリをちゃんと読まないという、パンク精神で貫きましたが、別にそれでもエントリとしては成立してしまって、megamouthも悪くなったなあ、すっかり悪くなった。という印象。
書く動機になりゃなんでもいいんですよ、という気もしますけど、少なくとも元エントリの方に失礼ではありますよね。自分でもっと怒られろって思った。


www.megamouth.info

こちらも某はあちゅう界隈のポジショントークに乗っかったわけですが、あんな一般解も存在しない話を真面目に書く気は最初からなかったので、そうだ「プログラマと学歴」の話って案外誰も書いてないよな、と思って書いた話。

2つのエントリに通底するのは、諦観があるということですね。

よく案件の相談を持ってきてくれる取引先があって、長い付き合いなのもあって、私は「そんな案件炎上するに決まってるでしょ」とか「(企画について)それは開発会社の仕事じゃないですよね?」とか言いまくるんですけど、それでも電話してくれる事について「megamouthさんって何もかも諦めてるでしょ、だからその意見を聞きたいんですよ」と言われたことがあって、いや、それモチベーション下がるだけだから辞めたほうがいいと思うんだけど、と思いつつ、まあ諦観を指し示す人も世の中には必要なのかもなあ、と少し元気づけられます。意識高い系みたいな言い方すると、悟り系みたいな。

今月の寄稿はありませんでした。本当に、一発書きする時間しかなかったんで。一発書きで寄稿する勇気はさすがにない。
Buzzった結果だけ見ると寄稿しても良かったかな、とも思うんですが、Books&Apps御中とは読者層も違うんで、ちゃんと文章書かないと、とは思っているのです(言い訳)

悟れるAmazonPrimeMusic

Favourite Worst Nightmare

Favourite Worst Nightmare

私実はロック関係に疎くて、これもPrimeMusicで知ったのですけど、Arctic Monkeysさんです。
軽快で若いリズムでリラックスして聞けますね。

Laideronnette

Laideronnette

日本のエレクトロニカ・ポストロックユニットだそうです。
だいたいにおいて、私は、感傷的なコード進行にハスキーボイスの女ボーカルを重ねられると、「マイミュージックに追加」ボタンを押すように条件づけられているのですけど、その点では100%好みな感じ。
エレクトロニカの文脈を上品にオーケストレーションにまとめているのもトラックメイカーの力量を伺わせます。

軌跡

軌跡

実はヒッピホップにも疎くて。
illな日本のヒップホップは例外的に好きなんですよ。サイレント・ポエツとか、ヒバヒヒとか。
なんですけど、このへんの音楽も非常にハイコンテキストなので、何聞けばいいのかわからない。というのがありますね。
あと、アルバム聴くより、誰かのミックステープ聴きたいな、というのはあります。

Elel

Elel

この人に関してはちょっと情報が見つからなくて全然わからないのですが、
いい感じに和めます。典型的なアンビエントボーカルな気もするけど、意外と型にはまってもいない。塩梅がいいんです


10月は一段落つくので、長めの文章頑張ってみようかな(フラグ)
というわけで、また来月

プログラマと学歴

もはや現代では大学に行く必要はない、いや行ったほうがいい、という議論があるらしい。
大学が、「学歴」という形で、社会における個人の扱いをある程度は規定している事実がありながら、今ひとつ「大卒」であるということが、それほど重要視もされていないようにも見えるプログラマという職種こそ、このような議論がふさわしいのかもしれない。
そのようなプログラマと学歴との関係を少し書いておこうと思う。

プログラマカースト

プログラマは奇妙な人々である。
クーラーの効いた小洒落たオフィスの最新スペックのパソコンに向き合って、鳴り続ける外線電話に出ようともしないで、その間にTwitterで卑猥なイラストをリツイートするといった、一般の社会人では考えられないような非常識を行ってもクビにならず、むしろ、これこそギークの証であると、納得される部分さえある。
そんな普通でない人々に学歴など必要なく、必要なのはただ、計算機科学の識見と、プログラミング能力のみであり、大学なんて行ってようがいまいが、何の関係もない。ほら、ゲイツジョブズザッカーバーグもみんな中退してるし。と思われてるかもしれない。

そういう話が本当かどうか、という話をする前に、プログラマにもヒエラルキーがあることを説明しておこう。

もちろん業界や、役割の違い(SIerの末端のプログラマと機械メーカーの社内SEとか)もあるが、何かの勉強会で登壇したり、公開MLに出したメールのシグネチャに所属を書いている場合に、尊敬されるか、バカにされるか、ぐらいの意味でカーストを考えると次のようになる。


外資系大手本社>国内大手研究所>外資系大手日本法人=国内大手本社>国内メガベンチャー外資ベンチャー>大手子会社>国内ベンチャー>中小ベンダー>クソザコフリーランス


スペースの都合上不等号(>)は一つにしたが、ほとんど=の場合もあるし、「超えられない壁」が含まれる場合もある、そのあたりは適当に脳内で補完して欲しい。
またこれらは所属企業によるものだが、同時にOSSへのコントリビューターにもカーストがあって、ついでに書いておくと


カーネルメンテナ>言語メンテナ>カーネルコミッター>言語コミッター>有名ライブラリメンテナ>色々>ユーザーグループ主催者>ブログでアプリへの文句だけ書奴~


みたいな序列である。
適当に書いてるように見えるし、実際適当に書いているので、首をかしげる向きもあるだろうが、例えば、場末の勉強会にIBM所属のLinuxカーネルメンテナがふらっとやってきたら、登壇者一同が卒倒、逃亡し、プレゼンは全て中止、懇親会では、彼の前に名刺を持った長蛇の列が出来るという光景は容易に思い浮かぶであろうから、その程度には真実味を帯びていると、言えなくもない。

カーストと学歴

で、このプログラマカーストと学歴がどう関わってくるかといえば、実に簡単な話で、上位カーストに入る為には普通に、旧帝の情報系の修士号を持っていなければならず、中位階層であっても、よほど熱心でなければ、そこそこの大学の学士以上の経歴は必要になってくる。

世のニート達が「プログラマになりたいんだけど何の言語を覚えたら良い?」というスレを立てるほどには、「プログラムさえ出来れば職業プログラマにはなれる」という認識は存在していて、それは一定の事実を含んでいる。

だがそれは、プログラマさえ出来たら猫でも可、ぐらいのカーストには所属できるかもねという意味であって、家で頑張ってrails覚えた中卒ヒキニート楽天に面接に行けば間違いなく門前払いになる程度には学歴フィルターが存在するのも事実である。

反証はいくつかある。16歳でrubyコミッターしてますとか、引きこもりでセキュリティ専門家ばりの知識を持った人間が、大学も出ずに、皆が羨むようなメガベンチャーにポンっと入ったりする事例がある。
特に00年代の頃、まだIT業界が混沌としていた時代はそのようなエピソードが多かった。

だが今やソフトウェア開発に必要なのはコミュニケーション能力だ、とさえ言われる時代である。
その伝統も失われて久しく、そういう人材はニュースバリュー目当ての胡散臭いベンチャーが採用したという話以外では聞くことがなくなった。
(余談な上、面倒なので、原文を探さないが、とあるJavascriptの達人がライブドア(現LINE)にポンっと入った時、社員の一人が匿名座談会で「同僚に中卒までいる」と発言して、OBである小飼弾が激怒した、という事件があった。IT業界が学歴に無関心であった時代から、普通の学歴重視の業界へ移りゆく過程を象徴しているように思う)

ちなみに海外ではこの傾向はさらに顕著で、日本のプログラムを一切書かなくても貰えるような学士号ではなく、NetBSDのソースを血反吐を吐くまで読み込まないと手に入らない情報科学系の博士持ちがゴロゴロいるのがGoogleだったりFacebookだったりする。

カーストの外

では、カーストの外で自由にやれば良いのでは?と考える人もいるかもしれない。
それならOSSの世界はどうだろうか?githubのアカウントフォームに学歴を登録するフィールドはないし、プルリクエストは小学生でも送ることができる。

しかし、OSSの開発に加わるということは、そのOSSを使用していなければならない。しかも、バグを発見したり、新機能の追加を思いつくには、相当なヘビーユーザーであることが必要である。

例えば、自宅サーバーにUbuntuを入れて、Apacheやnginxをたてて遊んでいるプログラマ志望者はヘビーユーザーではない。
アクセスするのは友人以下5名ほどで、秒間アクセス数は10を超えない。おそらく彼のApache宇宙線によるメモリ化けや、お母さんの掃除機がゴツゴツあたってグラフィックカード接触がおかしくなる以外の理由で潜在的なバグに突き当たることはあり得ないだろう。

新機能にしても、同じようなことは過去の誰かが考えているものだ。それらの機能が今存在しないのは、何らかの経緯で却下されたか無視されたことによることがほとんどである。
もし彼が「ぼくのかんがえたすごいしんきのう」を拙いCコードで表現することに成功したとしても、Google翻訳を駆使して、なんとか英語圏の人間に読めるプルリクを送れたとしても、忙しいメンテナが一瞥して言うことは「過去ログ嫁」である。

前に書いた気がするが、ソフトウェアの開発には「縁」が必要なのだ。
アホみたいな量のコードを読み下し、コーディングスタイルを真似し、単体テストケースを書き、開発者とコミュニケーションをとってまで、自分のコードをマージしてもらう。
そんな事をする動機は、プログラムを書ける、という単なる事実からは絶対に生まれない。

差し迫った必要があって、やらないとしょうがない、長い英文メールをMLに投稿して、海外のカンファレンスに行って直談判して、メンテナを納得させて、マスターブランチにマージしてもらわないと自分が困るのだ、という状況に至って初めて成立するのが、大手OSSへのコントリビュートである。

つまり、その「縁」をプロダクツと自分に紡ぐ為には、そういう世界に身を置かねばならない。
そしてその世界は遥か天上の、修士ですら気後れするような上位カーストにしか存在しない。

学歴のないプログラマの生き方

Twitterの志位++和夫さんという非常にパンチの効いたハンドルネームの持ち主の方に文章を褒められつつ「megamouthの文章は闇とゴミしかない」と言われて、実に嬉しかったのだが(皮肉でなく本当に)さすがの私もここまで闇とゴミを撒き散らすと、少しは救いを書きたくなるものだ。
なので、最後に少し付け加えておく。

プログラマの実際として、例えば同僚の評価などで、学歴がどれほど影響するか、という点については、これは正直に「ほとんど関係ない」と断言できる。
もちろん何をやっても高学歴の人間を敬う人や、低学歴を見下す人種はいるが、それも他の業種より少ない実感はある。

実際に私は、有名大学出の人間が素人同然のコードを書いているのを見たことがあるし、専門学校卒(それも情報系でないところ)の青年が空き時間にC++のテンプレートがチューリング完全かどうか確かめているのを目撃したこともある。

コードは一部の人間にしかわからない高級車のようなものだ。そこには正しく動くか動かないか、という明白な基準があり、同時に厳然とした「美」が存在する。

どんな高学歴の人間でも、動かないコードばっかり書いてプロジェクトを炎上させれば、皆から呆れられ、やがては見放されるし、得体の知れない中卒でもしっかりとした仕事をしていれば、一目おかれ、尊敬される。

プログラマとは、現代産業における労働者でありながら、芸術家に対するような評価軸で見られる存在でもあるのだ。
カースト?そんなもん気にしなければ無いのと同じである。
孤独なプログラマがpushしたgithubには学歴も所属も書いてはいない。twitterを使えば、大学教授と議論だって出来る。

だから、もし誰かが大学を卒業しないでプログラマになる、と決断したとしたら、私はそれを勧めはしないけれども、止めもしないだろう。

ここは静かだ。自分に注目を集めるために闇雲に気張る必要もないし、恥を晒す必要もない。
ただコードを書いて書いて書きまくればいい。

そして何よりプログラミングという行為は、今やどこからも失われつつある荒野に、自分が本質的に自由なのだと、確かめられる荒野に続いている。

人生に絶望するより、きっとそれは悪くない。