megamouthの葬列

長い旅路の終わり

ソリティアおじさん

中年になったのでソリティアおじさんになりたい、と思った。西日差す窓際で、Windowsに入っているソリティアというゲームを日がな一日やり続けて、給料を貰っているおじさんにである。

ソリティアおじさんは伝説の存在だ。私も実は、目にした事はない。主に大企業にいたらしいので、就職活動すらしなかった私には縁遠い存在なのだ。

私が実際に見たことのある一番ヤベえおじさんは、CASIOの電卓を超高速で叩きながら、その計算結果を一つ一つ手入力するExcel手入力おじさんだった。
おじさんのExcelには数式がない。全てはおじさんがテンキーを叩いて入力したものだからだ。
一つセルを打ち間違えたり、後で訂正が入ったりすると、当然合計値を入れるセルの数値も変わってしまう。それを、おじさんは(Windows付属の電卓アプリではなく)CASIOの電卓を叩いて計算し、LCDが表示した内容をパソコンのテンキーで写し取って修正する。ほかに合計値を使っている場所があれば、そこも修正しなくてはならないから、二十世紀最大の発明である表計算ソフトのアルゴリズムを、おじさんはひたすらキーを打ち続けることで辿るわけだ。

この行為はとめどない無為と呼べるものだが、とはいえ、ソリティアおじさんが抱える巨大な虚無とは比べようもない、と私は考えている。
実際、外から見て、Excel手入力おじさんはいかにもせわしげだった。オフィスに響き渡る16ビートめいた打鍵音は、こうして一生懸命働いているのだからわたしをクビになんてできないでしょう、けしてそんな無体なことを考えないでくださいよと、どこかにいる上司へ一心に口上を述べているようで、はっきり言えば、まるでなってなかった。


私がなりたいのは、ソリティアおじさんだ。
まばゆい逆光を背景に、スーツがきまった背筋をピンと伸ばし、ディスプレイを見つめて、マウスクリックの感触を全身で確かめるように、厳かに、慎重に、電子のトランプをスペードの5に運んで、そのクロンダイクの一手一手を、何人も妨げることができない、なぜそれが許されるのか、それでどうして金が貰えるのか、社内の誰一人としてわからない、孤高のプロゲーマー、あのソリティアおじさんになりたいのである。


ソリティアおじさんが登場したのは、90年代後半から00年代前半のことらしい。
インターネットとWindowsがオフィスに広がり、伝説のLotus Notesが、あるいはNEC渾身の情報共有基盤StarOfficeが、イントラネットを駆け巡ったあの日に、夏の強い日差しが、麦わら帽子をかぶった白いブラウスの美少女の隣に黒々とした影を落とすように、ソリティアおじさんもまた巨大なオフィスビルの片隅に生まれたのである。

今では想像すらできないことだが、オフィスのIT化に伴って、最初にネックになったのは「マウス」だった。
シングルクリック、ダブルクリック、ドラッグ・アンド・ドロップ、そういったマウス操作はPC強者の誇るべきスキルであり、少なくともおじさんの手に負えるものではなかった。
おじさんたちは部下が共有フォルダに置いたファイルを開くために、ファイルを選択状態にし、次にはデスクトップの虚空をドラッグして神秘的な矩形を描き続けた。
いつまでも繰り返す悪夢のような日々に終止符を打つべく、部下は上司に、僭越ながら、と断って、スタート>ゲーム>ソリティアのシーケンスを教えた。
おじさんが肩を不自然な方向に曲げて苦労して、アプリの起動に成功すると、デスクトップに緑色のテーブルとトランプが映し出される。遊び方はF1キーで表示されます。

部下は娯楽をおじさんにあてがったわけではない。
ソリティアを起動したのは、おじさんがさしあたり覚えなければいかないことの全てを、このゲーム、ソリティアは備えていたからだ。
カードを選択するのはシングルクリック、組札に移動はダブルクリック、まとめてカードを移動(ラン)はドラッグ・アンド・ドロップ。ゲームを遊ぶことで、全てが学べる。それがソリティアなのだ。

おじさんは喜び勇んで、ソリティアをプレイし始めた。部下はデスクを離れ、自分の仕事に戻った。昼休みが過ぎ、労働組合の放送があり、定時のチャイムが鳴り響いてもおじさんはソリティアをプレイしていた。部下は仕事を首尾良く終えることができて、おじさんに頭を下げて職場を出て行った。

明くる日も、そのまた次の日も、おじさんは教えられた通りソリティアをプレイし続ける。数千回のクロンダイクが行われ、山札は絶える事なくフリップし、大胆なランが実行される。
齢50も過ぎた、円熟した男性の純粋な行いが、その祈りに似た作動が、修養と礼式を獲得し、やがて、神性を帯び始めるのに、それほど時間はかからなかったはずだ。


2020年。オフィスすら、あやふやになった時代で、私はソリティアおじさんになれていない。
ソリティアはWindows10プリインストールゲームから消えていて、Windows Storeからダウンロードできるが、Microsoft Casual Gamesとして、ソシャゲの要素が取り入れられ、広告が表示されるようになっている。もはやそこに往事の面影はなく、ただ無為で死んだ時間が横たわっている。

代わりに私は、Google Collaboratoryを開く。Jupyter Notebookのテキストエリアに、どこかで聞きかじったコードを貼る。どこかで作られたHDF5形式のファイルをダウンロードする。
Googleのデータセンターの奥深く、目の飛び出るほど高価なGPUでそれらを実行して、私は結果を目撃する。それは、Qiitaで見たとおりの出力で、その意味も、どうしてこうなるのかも、根本的のところ、これが何なのかすらわからない。

明くる日も、その翌日も、私は、それをする。私より若い誰かが作ったニューラルネットワークと、巨大なデータセットに思いをはせて、無為に、訳知り顔で、呆然と、時代が変化していく不安を抱えて、それをする。決して届かない場所があることを、この行為は教えてくれる。

やがて、窓から西日が差して、私の顔を赤く染める。自宅のデスクトップの向こう側から、それを見た者がいたなら、きっと私はGoogle Collaboratoryおじさん。ソリティアおじさんと同じ面持ちをしていることだろう。

私は、それを恐れて、一方で、それを望んでいる。


任天堂 トランプ ナップ 622 (赤)

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  • メディア: おもちゃ&ホビー

プログラマと出世

就職することになって、つまりは私が職業プログラマになって、それを聞き知った叔父が私を訪ねてきた。

プログラマってのは、若いうちはいいが、長くはできないんだろう?」

リビングの炬燵に潜り込んだ叔父は寒そうに体を震わすと、最初にそう尋ねた。
当時、業界には「プログラマ35歳定年説」というのがあった。
郵便局員をしている叔父が知っていたというのだから、有名な話だったのだろう。
私は訳知り顔で微笑むと、業界1年目のひよっこなりに考えた、この話のカラクリを説明した。

―――プログラマというのは、システム開発に伴う仕事の中で、単価が最も安い。ようするに給料が一番安いんです。でも、35歳にもなれば、まさか20代と同じ給料というわけにはいかない。35歳相応の給与を貰うためには、プログラマより単価の高い仕事、つまり管理職に「出世」するしかない。つまりプログラマだった人もある時が来ると出世してどこかの管理職になってしまうという話で、35歳になると途端にプログラミング能力に落ちて仕事が出来なくなる、という話ではないんですよ。

そう答えると、叔父は、少し安堵した顔になった。
私は続けた。

―――それに今や、プログラミングの世界も急激に変化しています。プログラマの仕事も上からやってきた仕様書をそのままプログラムコードに翻訳するような単純作業ではなくなっていて、開発を主導して設計までやってしまうプログラマも珍しくありません。僕のいるWebなんかでは特にそうです。20代前半で、アーキテクトや運用まで全部やってる人だっています。だから、35歳になったからって、ビジネスサイドの経験も相応に積んだ彼らが安易にマネージャーになるかってのも、僕は疑問ですね。僕が35歳になる頃にはきっと、現場と経営をつなぐ、プレイイングマネージャー的なポジションが色々なところで生まれているんじゃないでしょうか?

私が自説を述べ終わると叔父は満足げに頷いた。途中からは理解できている様子がなかったが、叔父は、亡き兄の息子である私の行末を心配するのは自分の仕事だと考えている節があって、甥っ子がこれだけ自信たっぷり雄弁に物語るのだ、きっと大丈夫だろう、という印象を受けたようであった。

「ともあれ、就職祝いだ。乾杯しよう」

言って、叔父は持参したビニール袋に入った缶ビールを差し出した。それはまだ冷たくて水滴がついていた。
アルミ缶同士の鈍い音で乾杯をした。やがて母が湯気のたった鍋を炬燵の真ん中に据え置いた。

それから20年余りの年月が流れた。
こうして思い返すと、私の言ったことのほとんどは間違っていた。

こんな給料じゃ、所帯も持てないだろうから、出世させて管理職にしてやろう、なんてことを言ってくれる経営者はどこにもいなかった。35歳の熟練プログラマがやるべきポジションといえば、マネージャーとかリードテックといったものがあったが、それはたたき上げのプロパーが狙うポジションというよりは、LinkedInとか転職ドラフトとか、経営者仲間とか、そういういった伝手から立派な経歴を持った人たちを落下傘で降下させる場所だった。
会社は何歳になろうが、入社始めのプログラマと同じ仕事をプログラマに割り当てた。仕事の難度があがり、FTPとsakuraエディタで戦える戦場が少なくなっても、お構いなしに前線は前進を続けた。たまに利他的な性質をもったプログラマが、本来の業務の合間に、同僚や自分が気分よく生産的に仕事ができるような環境、CIとかレポジトリとかささやかなWiki、エディタの改善などを社内政治を駆使して導入してくれた。せいぜいがそれぐらいだったが、私たちはそういった装備を使ってギリギリの勝機をつかむ、ということを繰り返していた。

各個人の給料は入った時期によって大部分が決まっていて、滅多に上がることがなかった。ビジネスサイドに自分たちがやっていること、Web技術の進化、もっといえば他社の募集相場を説明すれば違ったかもしれない。だが、ほとんどの人がやらなかったし、実際やった者は、会議室から憤怒の表情で出てきて身支度を調えて早退し、その後帰ってくることはなかった。

そもそもプログラマーというのはその素養によって、明確に出来る者と出来ない者に分かれてしまうという現実がある。
出来ない者に対して会社からのフォローは何もなかった。会社は明らかに私たちに「全員が出来るようになること」を望んでいたが、予算的、時間的支援が多くの場合なかった。「出来るほう」ならぬ「何とか最後の自尊心を残している方」の私たちが出来ることは、爆発炎上した案件である豪華客船から投げ出された時、真っ暗な海に浮かぶ救命ボートに新人を乗せて、自分たちは立ち泳ぎをすることくらいだった。
憮然とした顔で救命ボードに乗った新人は恥辱と無力感によって自ら海に飛び込んで業界から去っていった。出来る者もそんな状態でさらに詰まれた仕事に押しつぶされて海底に沈んだ。唯一の幸運な人物である私が、真っ黒な海から新人の乗っていたボートに乗り移ることで会社に残ることが出来た。ボートに乗ってする仕事は、社内インフラの管理、メールアドレスの発行、サーバーの管理保守。そうやって私はいつのまにか35歳になった。

その頃、同期の大半はもう退職していたので、同僚は急遽かき集められた新人たちだったが、彼らとはあまり話す気にならなかった。技術的なことはともかく、この会社で生き残る方法を尋ねられても「今すぐ辞める」という以上にベストな方法がなかったし、彼らからGitHub Enterpriseだの CircleCIだの AWS EKSだのの話をされたところで、宮内庁の宝物庫から皇室ゆかりの品を一般の博物館に出すような努力を要してまですることなのか?としか言いようがなかったからだった。

35歳の私は、無気力で、全てを諦めていて、まるで幽霊のようにそこにいるだけの存在になろうとしていた。だから人事部が開発部のオフィスを見まわして、マネージャーに足る適任者を探そうとしても、誰も見つけることができなかった。多分、その時私はロッカーの陰にでも溶け込んでいたのだろう。

自然の成り行きで、外部からヘッドハントしてきた、総務畑出身の高学歴のマネージャーが開発部長を兼任することになった。

彼は優秀な人間だった、その手の教科書にあるセオリーどおり、私たちが実際にやっていることと、私たちが直面している問題について根堀はほり尋ねてきた。
私は、試しに、彼に自分たちが抱える本質的な問題についてこれ以上なくわかりやすく説明して、意見を求めた。

どうして私たちの人員は減らされていく一方なのか
どうして私たちの仕事の難度と求められる業務範囲が再現なく広がっていくのに、それに対する支援がないのか
どうして私たちが困っているという現実を誰もが見て見ぬふりをするのか

具体的な事も言った。例えば、営業がサーバー運用予算をとらなかったせいで、自前でサーバーの運用保守していたのだが、担当の新人が来月辞めることになっていて、その補充が来る様子もないのだが、どうすればよいだろうか、といった話だ。

マネージャーは微笑みだけを浮かべて返事をしなかった。代わりに、概念的な工数管理の話をした。つまり今ある仕事の工数が10として、それが納期どおりに出来ないなら、各人の工数を+2すれば良い。それが難しいのであれば人を増やせば良い。彼にとって、同じ利益を生む仕事は2000年でも2020年でも10のままで、プログラマの+2の工数はだれがやっても+2なのだった。あとプログラマは無尽蔵に採用できるという前提も含まれていた。マクロの視点ではそうかもしれない。だが、開発部はたかだか5名の小所帯で、応募してくるのはスクール育ちの未経験だけだ。

結局、マネージャーは目標管理シート.xlsと工数管理システムの信じがたいUIを置いて、マイホームである総務部の財務部門に帰っていった。

私は年長者らしく、工数管理システムの厳密な入力を求め、大半のプログラマが要素技術の調査に一日の半分の時間を割いていることに感心し、正直にそれを報告したが、それによって、全開発部の査定は1段階下げられた。案件関与率が低い、という評価だった。つまりは流れている製品を加工するロボットアームが日の半分も止まっているようでは話にならんよ。ということのようだった。


あまりにも私たちの常識から外れているものだから、逆に、出世して見える景色とはどのようなものだろうと考えることがある。どうすれば一番合理的にプログラマーという人種を上手く扱えるだろうか。

会社にとって、システムは納期が来ればなんなく出来るものだった、もし出来なかったとしても、他のベンダーをのんびり探す以外に、彼らが取る手段もなかったから、いずれにせよそんなリスクを想定することは無意味だ。システムを絶対に完成させなければならないし、そのためにプログラマーを雇っているのだ。
プログラマは会社のデスクとウォーターサーバーを往復する不機嫌な機械と変わりなかった。彼らに残業を命じる。完成は義務で、他に手段はない。時々、限界を迎えた一人が徹夜明けに、オフィスのアルミ製のゴミ箱を蹴っ飛ばすが、大きな音がするだけだし、使い物にならなくなったゴミ箱は買い直せばよかった。

あるプログラマが怒って、あなた方は私たちの経験を過小評価している、少しは給料を上げてくれても、労働環境を良くしてくれてもいいじゃないか、と訴える。
管理者はさも意外な顔で、不満なら独立すればいいじゃないか、そのスキルがあるなら、それだけでよほどいい暮らしが出来るんじゃないのかね?と言って、業務委託の直接契約に変更して会社に残ることを勧める。確かにそうすれば希望の年収は手に入るし、仕事の内容は同じだし。本当のフリーランスのように営業をする必要もない。

リーマンショックとか、今回のようなコロナみたいな不況が来ると、正社員でなくなった彼らの多くは一斉に契約を延長できずに会社を去ることになる。放たれた不景気の荒野に他に仕事はなかったから、多くのものが、SESや人材派遣のような非正規職についた。

やがて嵐が去って、景気が戻ると、生き残りのプログラマたちを、経営者がニコニコ顔で迎え入れる。「やはり安定が一番だろう?」
砂漠の10年で顔に深い皺を刻み込まれた35歳のプログラマは黙ってうなづく。彼らが再び正社員としてコードを書き始める。最初と違うのは、彼らは一様におとなしくなって、待遇に不満をもつこともないし、もし不平があったとしても、それは聞くのは同じ深い皺のあるWebディレクターになったということだ。職場のゴミ箱はもう壊れなくなった。

うん。申し分のない眺めだ。


思うに、私たちのどこかが、きっと致命的に悪いのだろう。ビジネスサイドでもテックサイドでも、みんなきっと間違えた事をしてしまったのだと思う。TOEICで満点を取ったことのない人間に不平を言う資格はないということなのかもしれない。

だからちゃんとTOEICのしけんがさいかいされたら、しけんをうけにいこうとおもうのです。


35歳のチェックリスト (光文社新書)

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電通のビジネスはなぜ嫌われるのか

久しぶりなので、どうでもいい話をする。
大昔、たまたまつけたTVに『ですよ。』という芸人が映っていて、漫談というのかコントというのか、お笑い番組だったから、とにかくひょうきんなことをやっていた。
どういうものだったか、書くのも面倒なので、Wikipediaを引用する。

「『ですよ。』この前〜階段の途中で座り込んでるおばあちゃんがいたから、上まではこんであげたんで・す・YO!」
「そしたら〜SO!おばあちゃん下におりたかったみた〜い。上にもどっちゃった〜」
「あ〜い、とぅいまてぇ〜ん!」

お笑い評論家じみた人というのが私は大嫌いなのだけど、まじまじと、この芸というのか、彼の一連の行動を目の当たりにして、しばし、絶句してしまった。
おもしろい、とか、おもしろくない、とか、洗練されている、そうでない、とか、なんかそういう問題ですらなくて、何か奇妙な、としかいいようのないストレンジなことが行われて、それが自然に、問題もなく、現実世界で放送されていることが、どうしても納得いかなかったのだ。

翌日、大学の部室で後輩にこの衝撃的な体験について話した。
「昨日、TVで『ですよ。』を見たんだよ」
「ああ、なんかいますね」
と、後輩は松本大洋の漫画を読みながら、落ち着いた声で言った。
「あれ、何?」
「何?ってどういうことですか。エンタ芸人でしょう」
と後輩は一瞬視線をこちらによこした。

私はエンタ芸人という言葉を知らなかったが、昨日の体験と合わせて、ようするに一般的な芸人ではない、という意味だと解釈した。
「あれっておもしろいの?」
「僕はおもしろいとは思いませんが・・・・・・」
「俺ねこれ、実験なんだと思うのよ。電通の」
と本題を早口で切り出した。

後輩はまったく興味を示さずに、漫画を読み続けている。私は構わずに続けた。
ーーTVで絶対におもしろくないネタを放送する。ウケる必要はなくて、笑い声はSEで後から合成できる。こうして、TVによって「この芸で笑っている人がたくさんいる=この芸人はおもしろい」というイメージを作り上げる。もし、『ですよ。』に人気が出たとしたら、これは完全にTV放送の効果であることが実証される。これによってTVメディアの価値が確かめられ、電通はこのスキームを色々な企業に売り込むことで利益を得るーー

「『ですよ。』という芸名がさ、ポイントなんだよ。わかる?」
と、私はさらに熱を込めて言った。後輩は諦めたのか、漫画本を開いたままテーブルに乗せると、変わり者を自称する同級生のライブペインティングを見つめるような視線を私に合わせていた。

「『ですよ。』ってさ、名詞じゃないでしょ?いろんな文章の最後にでてくるじゃない?だからGoogleで検索してもひっかからないんだよ」
「はあ」
「つまりさ、この実験はTVの実験なんだからさ、ネットの影響力はできるだけ排除して計測したいわけ。だから『ですよ。』なんて芸名でやってるんだよ!そもそも芸人かどうかもわかんないよねっ!劇団員か、なんかにやらせてんのかもしれないよねっ!」
と私は自説を締めくくった。
後輩はようやく私が黙ったので、諭すように以下のような意味のことを言った。

  • 電通はそんなに暇ではありません
  • 芸人志望者なんて山ほどいるんだから、わざわざ劇団員におもしろくもない芸をさせる必要もありません
  • TVの影響力を統計的に測る良い方法があります。視聴率っていうんです。知ってます?
  • ところで授業には行かないんですか?

そして、後輩は松本大洋の青春物語に戻っていき、私はというと、なんだか惨めな気持ちになって、古き良き2ちゃんねるのスレッドへの帰り道を探しはじめて、デッカちゃんは見渡す限りの草原の真ん中で元気良く太鼓を打ち鳴らした、というわけである。

念のため、『ですよ。』本人と、そのファンの名誉のためにフォローしておきたいのだが、家に帰って『ですよ。』を検索したら普通にGoogleでヒットしたし、当時の小学生の間では「あ〜い、とぅいまてぇ〜ん!」は結構流行っていた(らしい)。ついでに、最近になって、Twitterで、和室に『ですよ。』のファンが集まって、みんなで「あ〜い、とぅいまてぇ〜ん!」をやる、というよくわからない動画を見た時はなんだかじんわりと暖かい気持ちになったので、今となっては、私の論説は完全な間違いであるし、『ですよ。』が一時代を築いた偉大な芸人であることに疑問の余地はない。


で、そんな話とは何の関係もない「サービスデザイン推進協議会」を巡る一連の話をしたいのだが、とりあえず、なぜかこの問題を血眼になって調べている東京新聞の記事がよくまとまっているので紹介したい。

www.tokyo-np.co.jp

とはいえ、ここで挙げられている論点は、当ブログで扱う範囲を超えているし、別に私の意見など誰も聞きたくないだろう。だから、

現時点でサ協や電通は4次下請け以降の詳細を明らかにしておらず、給付金業務に全部で何社が関わっているのか分からない。経産省は「末端の企業まで国が知る必要はない」(担当課長)として把握に消極的だったが、野党議員の再三の求めを受け、6月23日に「把握したい」と修正。少なくとも63社が関わっていると国会で説明した。

この「少なくとも63社」の話をしたいと思っている。いわゆる「商流の頂点が電通」である様々な会社のことである。

まず、電通というのはどんな会社か、ということなのだが、端的に言うと、「顧客が○○したいと言えば、絶対に○○させてくれる会社」である。
「日本でオリンピックを開きたい」でも「サッカーのプロリーグを作りたい」でも「ワニが死ぬタイミングでグッズ展開したい」でも、何でも、である。(あくまで例え)

何でそんなことが出来るのだろうか?明日私が、あなたの会社に訪問して、アタッシュケースから札束を取りだしながら「これで押井守に女子攻兵のアニメ映画を作らせろ!」と言ったとして、あなたの会社は対応できるだろうか?できないだろう。出来るわけがない。あなたの会社と押井守には何の関係もない。

だが電通なら出来るのである。私の石油王のコスプレにすっかり騙された彼らはすぐに社内に押井守と強力なコネクションを持った人間がいないか探し始める。多分すぐ見つかるだろうが、万が一いなくても問題ない。押井守と一緒に映画を作ったことのあるプロデューサーが昔世話になった映画会社の社長の息子などがほぼ確実に電通にいるからである。

世の中のコネクションの中で「昔世話になった人が頼んでくる」ほど強力なものはない。私のような無縁仏ですらそうなのだ、いやむしろ多方面に過去も今も継続的に迷惑をかけ続けている私なら、そんな存在は山ほどいる。高校の時に告白してきた女子で、なんか曖昧に返事をしてしまい、付き合うとも付き合わないともよくわからない状態ではぐらかしていたら、どんどん恥ずかしさが増していって必要以上に冷たくなってしまい、まったく口をきかなくてなってしまったあの子が現れて「あの時の仕打ちを許してやるからZoomみたいなアプリを10万で作れ」と言ってきたら命を賭してやるしかないではないか。

つまりは電通とはそういうコネクションの糸の大本である。金持ちの息子が電通にコネ入社するのではなくて、コネが電通に入社してくるのである。

そして、実務については東大、京大卒の実力入社組がいる。ただでさえ頭の良い彼らが鬼十則の勢いで、人権を無視されながらコネの束をぶん回してくるのである。普通に考えて勝てるわけがない。


で、その糸の先に様々な会社がいる。「少なくとも63社」のことである。電通の子会社を除くと、これは俗に言う「電通にアカウントのある会社」のことである。
このアカウントとは原義の通り「口座」のことである。つまり電通の支払先口座として自社の預金口座を登録している会社のことを指している。

なんのこっちゃ、と思うだろう。そんなの取引を開始する時に事務的に登録するだけの話だろう、と思うだろう。
違うのだ。電通経理部に取引口座を登録するには、先ほどの電通に入る社員とまったく同じ要求がある。
つまり電通は取引先に対しても電通が利用可能なコネあるいは、並外れた実力を要求するのだ。電通のビジネスを拡大するのに必要な社会的資本、あるいは東大エリート部隊と同等のパワーがなければ、アカウントを作ることはできない。
電通の案件を数多くこなした、そのへんの広告デザイナが独立して、馴染みの電通社員に挨拶に行っても、冷たくあしらわれるだけである。アカウントがないからだ。作れる余地もないからだ。そして彼らはだいたい元いた会社の下請けとして生きていく事になる。

この冷酷なシステムを維持するため、電通は取引先に相場以上の利益を約束する。社員の平均年収が法外であるのと同様、電通の取引先も、大変にうま味のある案件を貰えるようになっている。

世の中の一般的な感覚では中抜きを経由しないクライアントとの直接取引(プライム案件)が最も利益率が高いと思われがちなのだが、実際はそうではない。
プライム案件は意外と渋いのだ。担当者が発注先の業界に通じていれば(近年の人材流動化の高まりで、クライアント企業に業界経験者が多数潜り込んでいる関係で、そうである可能性は高くなるばかりだ)原価ギリギリまで値切られることも珍しいことではない。

一方で、前述のとおり電通や代理店案件は利益を積んでも積んでも受注できるシステムを持っている。コネとパワーで何でも実行でき、しくじっても丸々補填できるだけの資本を武器に、臆病な官僚や企業担当者から、利益を確保することができる。この一連の世界が「少なくとも63社」の世界である。


得意になって書いてきたが、こんなことは電通に関連する商流に身をおいていれば誰でも知っていることだ。一般にあまり知られていないのは、単に当事者たちが一切喋らなかったからである。関係する皆が利益の共有者で、その輪にどうやっても入れない者には、語っても無意味だったからである。ただの自慢話になってしまうからである。

しかし、今、「サービスデザイン推進協議会」の話題が、これほど人口に膾炙しているのを私は驚きを持って見ている。マスコミが平然とそれを報じ始めていることを意外に見ている。それは裏返せば、電通が分配してきた富が不足してきたことを意味している。ようするにこれじゃ足りないもっと寄越せと中の人間が言い始めているということだからだ。

思えば、ここ10年、あらゆる諍いは、分配する原資がなくなってきたことに起因している。年金が底をつき、社会保険料がうなぎ上りに上がっていくのも、それによって社会の閉塞感が増していくのも、全ては分配の元が減ってしまったことにある。

だからもう、これをどうにかするには、紙幣を刷るしかないのである。刷って刷って刷りまくって、公的なコネ的な実力主義的なあらゆる分配を行って皆を満足させるしかないのである。
もし、明日のパンの値段が1000万円になってしまったら、その時は、私たちは高らかにこう叫べば良い。「あ〜い、とぅいまてぇ〜ん!」と。



女子攻兵 1巻 (バンチコミックス)

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