以下は、一風変わった技術本をzennあたりで書こうと思って書いた序文である。
AIの台頭で技術本のアイデアは霧散したので、ここに残すことにした。
プログラマとしての仕事を辞めて半年ほどで預金がつきた。前の職を欠勤、欠勤、そのまた欠勤で辞めたせいで、失業手当は大きく目減りしていたから、結局、毎月、預金を取り崩すよりなくて、それがとうとう尽きてしまった、ということになる。
空になった預金口座を眺めて、どうして自分は金を儲けることができなかったんだろう、としみじみ思った。
もうちょっと上手いやり方とか、メンタルをぶっ壊さないやり方とか、ほどほどに勤勉に、上司や同僚に迷惑をかけない生き方とか、そういうのがきっとあっただろうと思うし、それほど難しいことでもないと聞くのに、ある日何も手につかなくなり、仕事を続けられなくなって、主治医にも見放されて、午前3時の繋がらない「いのちの電話」の呼び出し音を聞いても、プログラムは完成しないから、素晴らしい人たちを裏切って、呆れさせて、諦めさせて、最後には預金残高がゼロになっているのだった。
無職の障害者になった私は、ハローワークの職員を相手にこのような身の上を語った。
職員は優しそうな中年の女性で、話している間ずっと煙を吹きかけられたように眉間に皺を寄せて目を細めていた。あるいは単に薄暗いものを見つめすぎたせいで、目を大きく広げることができなくなっているのかもしれなかった。
長い一方的な話の締めくくりに、私は彼女に告げた。
「それでも、プログラマの職を探しているんです」
そして、彼女が眉ひとつ動かさなかったことを確認して、さらに付け加えた。
「それしか出来ないんですよ」
私にもうプログラマとして生きていく力が残っていないことは明らかだったので、これは明白な嘘だった。しかし多くの嘘がそうであるように、真実の部分もある。もしプログラマとして生きていけないのなら、私は死ぬよりない。それ以外の人生を考えることができない。それ以外の時間を生きる気がまるでない。
私は濁った目をまぶたの裏で一回転させると、繰り返した。
「私にプログラマの仕事はありませんか?」
つまり、この「技術本」に私が書くことは「プログラマとして成功する方法」でもなければ「プログラマとして人並みの生活を送る方法」ですらない。プログラマを辞めることのできない人間が書く「プログラマであり続ける方法」だ。つまりはアルコール依存症患者の書いた「酒を飲み続けるごきげんな方法」というわけだ。さて、そんな本にどういう価値があるだろうか?―――控えめに言って価値は全くないだろうが、意味があるとすれば以下のようなことだろう。
チャーリー・シーンという俳優が、何作かのヒット映画で稼いだ120億の資産を全てドラッグと売春婦に費やして破産した日、なぜこのような放蕩を繰り返すのか、と尋ねた記者にこう言った「チャーリー・シーンという強烈な人間を御するにはこうするしかないのさ。一度俺の脳みそに入りこんで『俺』を体験してみればいい、あんたなら30分後には拳銃で自分の頭を吹き飛ばしているだろうぜ!」
チャーリー・シーンが体験できないように、この技術本を読む事で、亡者のようにコンピューティングに拘泥する私を体験することはできないにしろ、ある種の示唆を得ることはできるかもしれない。それは人間はそう易々とライフルで頭を吹き飛ばせない、という安心感かもしれないし、こうならないようにするための教訓かもしれない。あるいはごく単純に「プログラミングの楽しさ」かもしれない。
なにしろ死んでいてはプログラミングができないのだから。
