商談サイトに掲載されている案件をクロールして自動的にAIで提案書を作成、提出するという人の話を聞いて、どうにも反応に困って「そのメンタリティが素晴らしいですね」と答えたのだが、どうも先方の望む答えではなかったようで、苦笑いされてしまった。
「それはひどく失礼ですね」と答えれば良かったのか、あるいは「それこそが現代の営業ですね」と言うべきだったのか。
とはいえ、虚無に、曖昧さと人間離れした楽観をコーティングしたような、あのAIの提案書を、ほとんどそのままノールックで提出して人間に読ませるというのは、シンプルにひどい行為に思えた。同時に「見込み客」という、金をちらつかせば、無料で家の設計図ぐらいまでは書いてもらえると無邪気に信じているようなあの連中には相ふさわしい扱いにも思えた。つまりは、私にはその行為に善悪どちらの判断もつかなかった。だが、少なくともこの時代に、そう一方に振り切ってしまう思い切りの良さだけは羨ましい、と思ったのだった。
そういうメンタリティは私にはない。世の中は椅子取りゲームなのだから、少しでもいい生活をしたければ、競争を勝ち抜いて、何をやってでも椅子を、高い収入が得られるポジションを勝ち取らなければならない、というのに、どうにも必死になれない。
一つは、今までそういった類の努力をほとんどしてこなかった、ということがある。そうした椅子は努力して、その能力を得た者に自然に与えられるものだという信仰をもっていたからだ。プログラマという椅子だけを考えれば、技術動向に目を光らせ、次から次へとやってくる新しいフレームワークやトレンドに興味を持ち続けられてさえいれば、能力のほうはどうにかなるわけだから、ようするに私は普通に生きるだけで「椅子は常にある」と思い込むことができたわけだ。
最近そういう実感が急速に失われていくのを感じている。自分で書くコードの量が明らかに少ないし、おかげで何かを作れる、作りたいという感覚が薄れていって、勉強すべきフレームワークやライブラリも目につかなくなっている。マネジメント的な仕事を試しにやってみたけど、何しろコードを書かないものだから、自分は代替可能で、いてもいなくても変わらないのではないか、という思いが日増に強くなっているのだった。
必死になれないでいると、チャンスが遠くなっていく感覚もある。 某転職サイトのカジュアル面談で、和やかに談笑していた時のことだ。
「違うポジションの募集もしているんですが、◯◯さんはそちらのほうがご希望ということですよね?そちらに応募されなかったのはなぜですか?」
面接官は無邪気に問いかけた。だが私のログイン済みの画面からは、どうやってもそのポジションの募集が表示されないのだった。「年齢制限かなにかですかね?」私は内心の動揺を隠しながら、冗談めかして言った。面接官は気まずい表情を浮かべ、その話を強引に打ち切った。
私の座るはずだった椅子は、私が画面を開くよりずっと前に、アルゴリズムの裏側で静かに消去されていたのだ。能力を証明する機会すら与えられない透明な排除。きっつー
そう考えれば、アルゴリズムにはアルゴリズムを、という前述の某氏の行為も正当化されるのかもしれない。
彼らはアルゴリズムで椅子を隠し、こちらはアルゴリズムで虚無を投げ返す。そこにはもはや人間の介在する余地などない、というわけだ。それでいいのか?と正直、思ってしまうのだが。
最近、よく夢を見る。私はかつてのようにコードを書いている。作っているのは、何の変哲もないWebフォームの作成システムだ。ドラッグアンドドロップで自在にフォームを組める、あの懐かしいUI。最新のWebコンポーネントを使い、Shadow DOMでカプセル化すれば、どんな複雑なページにだってシームレスに組み込める…… 「これこれ、これなんだよ」 夢の中の私は、技術的な課題を鮮やかに解決した万能感に震え、ワクワクしながら目を覚ます。
目覚めて布団の外に出て、1月の冷たい空気に覆われると、冷たい現実が明らかになる。そんなものは、もう誰も求めていないのだと。 AIが生成した最適化済みのLPには、あらかじめ最適化された入力フォームが備わっており、そこに「手触りの良さ」や「拡張性」を求める人間などもうどこにも存在しない。
かつて椅子を支えていた四本の脚——技術、情熱、需要、そして未来——のうち、いくつかはもう折れてしまっている。それを認められないまま、私は消えた椅子の残像を追いかけて、夜な夜なコードの夢を見ているのだった。
いっそ、社会から求められなくなった瞬間に、ロウソクの火が消えるように自然に生も終えられたら、どんなにいいだろうと思う。 誰の椅子も奪わず、誰からも椅子を奪われず、ただ役割を終えたという静かな納得とともに、尊厳を保ったまま消えていく。それは、敗北ではなく一つの完成ではないか。
だが現実には、椅子を奪われた後も、私たちの肉体はしぶとく生き長らえてしまうだろう。空席のない部屋で、透明になった自分を抱えながら、明日のパンのためにまた虚無を塗り固めたような「提案書」の作成ボタンを押すのだろうか。
