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megamouthの葬列

長い旅路の終わり

「ホームページを作っています」

随想

20世紀末から00年代の前半の話をする。

かつてWebとは「ホームページ」のことだった。
Web屋とは「ホームページ」と、トップページのFlash、あとはそこに付随するちょっとしたお問い合わせフォームのCGIを設置するか、制作するのが仕事であると思われた時代があった。

このWebの黎明期、Web屋の大半が、「ホームページ」を作る仕事をしていた。

あの時代イカした「ホームページ」が無いことは、企業にとって恥ずかしいことだったらしい。
「ホームページ」のない会社や、社員にHomepageBuilderで作らせみてはみたものの、そのあまりの酷い出来に辟易した企業から、仕事は次々と舞い込んできた。

当時のWebデザインとtableレイアウト主体のHTMLコーディングの単価は当然今より高かったし、
(確か末期でもデザインは別で、コーディング単価として1ページ8,000円ぐらいは取れたし、大手は1ページ1万円以上はとっていたのではないか)
現在のLPのような数ページの内容を1ページに落とし込むような理不尽な仕事もなく、
モバイル対応とはレスポンシブにすることではなく、ガラケー用のページを新しく起こすことだった(ので、ここでもキャリア別(!)に1ページあたりのコーディング費用がとれた)

SEO対策とはYahoo!ディレクトリに登録することであり、小さなサングラスの"Cool"マークでも取れたなら、それは大成功といった具合だった。

今と比較すれば、Web屋にとっては牧歌的で、ビジネスがやりやすかった時代だと言えるかもしれない。


印象的な話がある。

大阪市の主催で、大阪のベンチャーWeb屋が自社の実績をアピールするイベントがあった。
私が潜り込んでいた零細Web屋も、何かの成り行きで登壇することになり、私は社長が慣れないプレゼンをするのを眺めるために観客席に座っていた。

プレゼンの内容は思いがけないものだった。
うちも含めて、ほとんどの会社が、制作実績である「ホームページ」の紹介もそこそこに、自社で計画しているサービスやパッケージの紹介をしたのである。

彼らのプレゼンに共通して言えることは「脱ホームページ」だった。下請けとしてホームページを作るのではなく、BtoCやBtoBとして、直接取り引きするために、自社の技術力を生かしたい。そういう話ばかりをしたわけだ。

発表が終わった後、大阪市の産業振興の担当者が手を上げた。

「下請けの何が嫌なのか?」

と彼は言った。製造業の中小企業はほとんど下請けである。安定して収益を挙げられる下請けを皆が口を揃えてやめたいと言う事を彼は心底不思議がっていた。

その質問に明確な答えを出すことは誰もできなかった。私も客席で、答えを考えてみたが、下請けが嫌なのは漠然としてわかるのだが、ビジネスの観点でそこまで否定する理由は確かに思いつかないのだった。


だが、今ならわかる。

ようするに我々は虚しかったのだと思う。

凝った「ホームページ」を作る意味などほとんどない。その時々のトレンドに合わせた見栄えが整っていれば十分なのだ。
たまに欲張りなクライアントから差別化を求められることがあったが、その時は、Flasher達にケレン味のあるトップページFlashや斬新なヘッダを作って貰えば充分なのだった。

ようするに我々は「名刺」に書かれたURLの先をデザインし、作っていただけなのにすぎない。
そこにかっこいいFlashがあろうがなかろうが、ネジ工場はネジ工場であるし、ホームページが綺麗だからまともで信頼できる会社というわけでもない。

我々の仕事は、ホームページを作った企業のビジネスに悲しいほど寄与していなかった。

だからといって、そのような会社に、Webの持つ真の可能性、効率化やビジネスの拡大をWebシステムによってもたらすようなことが、必要とされていないことにも薄々気づいてもいた。
彼らは変わらず営業車で走り回って仕事をとっていたし、注文や納品の処理はFAXやせいぜいExcelでやっているのだ。
Webによってそれがどのように変わるか、ということを我々は具体的に提示できなかったし、その度胸もなかった。


だから我々は自分でサービスを作ることにした。そうしてWebの可能性を示したかったのだ。
レンタル掲示板、アクセスカウンター、自己紹介サイト、レンタルフォーム、ブログサービス。雨後のタケノコのように乱立していた大小様々なサービスはこのような動機で作られたものも多かったように思う。

それらのサービスも今はほとんど残っていない。アクセスカウンターはGoogleAnalysticsになり、CMSやブログはWordpressになった。

昔の「ホームページ」を作る仕事もWixなどの「サービス」にとって代わり、
「ホームページ制作」の仕事は異様に長大なLPであるとか、キャンペーンサイトのような仕事だけが、単価を下げられて残されている。



確かに「脱ホームページ」を目指した我々は間違えてなかったようにも思う。ただ、漠然とした危機感だけでは、GoogleSNS、海外のOSSが作った流れに逆らうことはできなかったということだ。


今でも私は年配の人に自分の仕事を説明する時「ホームページ作る仕事」と答えることがある。そして大抵はそれで納得してもらえる。
得体の知れないWeb屋という存在に、この程度の市民権を与えた、ということが、あの時代が残したものの全て、と言えるのかもしれない。